良薬、口に苦しのお客さん
接客が長くなった今でも、ふと思い出す、おじさまの話。
あれは接客をはじめてまだ日が浅い頃。
今より男性の物をメインに扱う店で働いてた時の事だ。
お客さんたちは優しいし、接客向いてんじゃん!と、自画自賛の日々を送っていた。
夕方来た、そのお客は、見るからに仕立ての良い、淡い色のスーツを着ていた。
年頃からいっても、かなり地位は上だと見えた。
お客様には、必ず、良かったらご試着できますので、と一言声掛けをするようにオーナーに言われていたので、近寄っていった。
ちょうど帰宅ラッシュの時間だったので、つい「お仕事帰りですか?」と聞いてしまった。身に着けているもののセンスが良かったので、その人自体に興味がわいてしまったからだと思う。
しょーもない事聞いちまったぜ、と咄嗟に後悔したが、大概のお客さんは若い女の失敗を許してくれることも知っていた。
だから、こう言われた時は少し衝撃だった。
「僕が仕事終わりだろうが、そうでなかろうが、君には関係ない。」
がーん。確かに。おっしゃる通りでございます。けれど身も蓋もない。と、心の中で渦巻く気持ちはあれど、言葉に何もできず。
「でも、まぁ、君も仕事だから仕方がないが…」そう言いながら、こっちを全く見ず、商品を見ている。
うん、こりゃ速攻撤退だ。
ごゆっくりご覧ください、と、営業の柔らかい声を作って、ぴょーっとその場を離れた。
見るからに声をかけない方が良いって感じじゃなかった。そんなに怖そうでもないし。
でも、このお客さんの事を知りたいって下心があったから、良くなかったんだ。
気合いが入っちゃだめだな。
接客は、自然が良いんだ。
話が盛り上がる人とは盛り上がるから、調子に乗ってしまった。
雑談が嫌いな人もいる。
今度から一人一人、見極めなくては。
おかげでか、今は、懐いて良い人と、そうでない人か、が分かるようになった。
プライベートも話したい人なのか。
どこまで聞いて良い人か。
もしくは、私には売り子としてだけの情報を聞きたいだけで、プライベートは何も話したくない人か。
それは、私が接客をやっていく上での大事な事だった。
慈音ちゃんいいね、とか、気に入ったから買ってくよ、と言われた事も嬉しいから良く覚えてる。
が、一番印象深いのは、あの、若い私を、ぴしゃりとやった、仕立ての良いスーツのおじさまの事だ。
良薬、口に苦し。
昔の人はよく分かってんね。