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還暦で子育て
今年6月で私は60歳になった。還暦である。おばさんではなく、おばあちゃんと言われる年齢になってしまった。職場でもプライベートでも、異性の友達や出逢いには事欠くことなく、恋愛もそれなりにしてきたのだが、なぜか結婚することなく今に至っている。
ヒーラーの友人が何人かいるのだが、皆そろいもそろって「あなたは今世、妻としての修業、母としての修業を免除されている」と言う。私は一生、結婚しないで終わる人生なのか?と少し淋しい気もしたが、そういう人生を決めて生まれてきたのだろうから、それはそれで何か意味があるに違いない。だが、ここにきて母としての修業をすることになった。
40年以上、ずっとサラリーマンをして稼いできたのだが、85歳の母を完全看護することになり、今は働きに出ていない。不動産を持っているわけでもなく、トレードができるわけでもないので、母を看ながら家で収入を得られる仕事はないものかと、今年10月にソルライツアソシエーションのファースト講座を受け(柔道でいえば初段であろうか)、11月母が施設から戻る前に自宅でヒーリング&施術サロンをオープンした。そんなにすぐにお客様がみえるわけもなく、毎日母に施術して腕を磨く日々だ。それでも友人の何人かは訪れてくれ、嬉しい感想を沢山いただき、本当に感謝している。(当サロンHP→ ソルライツと潜在意識への旅 ヒーリングサロンTeraへようこそ)
今は自分の体調不良と母の介護に追われ、サロンの仕事に支障をきたしているのも、自分が決めていないから。本気でこれで行く!と決めさえすれば、そのように物事は進みだす。何でも決めるか決めないか、やるかやらないかなのだ。
トイレを汚したり、おねしょを繰り返して、毎日何回も洗濯に追われていると、子供時代の自分を思い出す。私はおねしょをした母を叱ったけれど、母は私を叱ったりしなかった。当時の私は幼児だったから、そういうものだと思って母も叱らなかったのだろうが。そんな昔を思うと、母を叱ってしまったことを後悔するのだった。
認知が進む母はよく忘れる。何回も同じことを繰り返して言う。今言ったことを、言い終わったとたんにリフレインする。着替えをするのにも時間がかかるため、通院の日は予約時間に間に合わないと困るから、着替えも手伝う。靴下を履かせたり、ズボンを履かせたり。お風呂に入れる時は髪も洗ってあげて、乾かして、夜は湯たんぽもおふとんにセットしてあげる。幼かった私に母がしてくれたことを、今、私が母にしている。
還暦になって子育てをすることになるとは、夢にも思わなかった。親の恩は大きすぎて多すぎて、でも孝行したいときは親は亡くなってしまっているケースが多いから、人は我が子にその恩を返していくのだという。子育てを通じていただいた恩を、子に返していくのであるが、未婚で子供も産まずにきた私はそれができない。だが、今まさに介護を通して、母にお返しができている気がする。今世で受けた恩も、しでかしてしまったことも、来世に持ち越したくない私。できれば間接的にではなく、ダイレクトに本人に返したいので、今の生活に感謝せずにいられない。
介護というものは疲弊するものであり、心身ともに損なうがごとしのきつい毎日の連続であるが、2年間の介護生活で怒ることこそが、自分を疲弊させているのだと気がついた。だから、介護3年目の今は極力母を叱らないようにしている。叱らなくなったら、母は薬も一回で飲んでくれるようになった。以前は何回言っても、目の前に置いても気が向かなければ飲んでくれなかった。朝も何回起こしにいっても、起きたくなければ起きなかった。だが、今は一回お起しにいけば、すんなりふとんから出てくれる。
アルツハイマー認知症は尽くしてくれる人を攻撃する病気であり、母は私を杖でぶつこともあったし、排せつの世話や面倒をみる私に「ありがとう」や「ごめんね」の一言もないどころか、自分を叱る私に「この鬼娘!」とまで罵倒する有様。デイサービスの職員にまで私を悪く言ったりしていた。やりきれない私はストレスで10キロ以上太ってしまった。だが、今は『叱らない効果』のすごさに驚いている。母が私に毎日、「ありがとう」を言うのである。
貯えを削って生活していくのも限界であるから、来年は働きに出ねばならないが、そのために、通院のリハビリ以外にも、毎日散歩させるようにしている。実は、母は6月に大腿骨を骨折し、一時車椅子になってしまったのだ。努力の甲斐あり、今はシルバーカーを押して歩けるまでになった。もう少し回復してくれれば、働きに出られる。
来年は今年出た分も、がんがん稼いで、これまで以上に行きたい所に行き、会いたい人にも会うつもりだ。夏には母のお気に入りの箱根ホテルに連れて行く。毎年二人でデイユースではあるが、美味しいランチと温泉を楽しむことが恒例となっている。ホテルのプライベートガーデンのベンチに座り、目の前に広がる芦ノ湖を親子でのんびり眺める。それだけのことなのだが、私たち親子にとってはそれがささやかな贅沢であり、楽しみなのだ。
父の時はフルタイムで働きながら、ヘルパーを雇いながら家で介護し、自宅で看取ることができた。母もできれば、自宅で看取ってあげたいと思うし、そんな運命がまっていてくれればいいなと思っている。