3人の父親がいる波乱万丈な私の家族の話③
(①②の続きから)
※相変わらず暗い話が続きます
しばらく母親と顔を合わせてあなかった私は、その日の夜「話したいことがある」と連絡をした。パート終わりの母親が駅前まで車で迎えに来て、そのまま車の中で話し合いは行われた。
「私、〇〇さん(2番目の父)の家で暮らそうと思うんだ」
母親はそれを聞いた瞬間、血相を変えてヒステリックになった。
りんは子供だから何もわかってない!まだ何が足りないの?何がだめなの?止めないからもう好きにしたらいい!といった言葉を浴びせられた。
現在に至っても、母親は何かと不都合なことがあると感情丸出しでヒステリックになる傾向がある。そうかと思えば翌日冷静になって「昨日はごめんね」と、180度正反対の意見を言うことが未だによくある。これが本当に疲れるし、まともに相手するとこちらが疲弊してしまう。指摘しても一向に治らない。もう癖なのだろう。これが縁を切りたくなった最大の理由でもある。この時から何も変わっていない。
私はすぐに荷物をまとめ前の父親の家へと戻った。父親は快く受け入れてくれて「りんが一緒にいてくれて嬉しい、本当に嬉しい」と何度も私に感謝した。
そこからの生活はとても快適だった。毎日夕飯に困らない幸せ、ベッドで寝られる幸せ、最高だった。料理や洗濯は私が行うようになった。私の慣れない手料理を美味しい美味しいと喜んでくれた。生活は順調だった。
父親はとても寂しがっていた様子だった。というよりむしろ、少しおかしくなっていた。
ある夜、父親がお風呂に入っている時、突然お風呂場から「クソ!クソ!〇ね!」という声が聞こえてきた。温厚で優しい父親からは想像できない汚い言葉の数々。一瞬耳を疑ったがそれは紛れもない事実だった。身の危険を感じた私は、気付くと反射的に携帯を取り出しその音声を録音していた。
突然家族を失ったショックからだろうか、私は怖いというより可哀想な気持ちになった。私はここに居続けたかったのもあり、見て見ぬふりをして過ごした。
だが3ヶ月を過ぎた頃、明らかに父親の様子がおかしくなっていくのがわかった。私に母親のことを執拗に聞いてくるようになったのだ。
今どこで何をしているのか、どこに住んでいるのか、職場はどこなのか、不倫相手とはまだ続いているのか、等々。私はなんとなく教えたらいけない気がすると感じ「え〜喧嘩して出てきたからわかんないぁ」などと毎回はぐらかしていた。夕飯時は質問攻めになるので一緒にご飯を食べることがだんだん憂鬱になっていった。そのうちなんとなしに父親を避けて生活するようにもなっていった。
そんなことが続いたある夜、学校の支度をしていると私はある違和感に気付いた。鞄が開けられている…?それだけでなく、私宛に届いた郵便物が、破られている…。やったのは父親しかいない。しまった。この郵便物の住所は今母親の住んでいるところだ。やばい。血の気が引いていく感覚だった。
すぐに父親を問い詰めると、父親はあっさりと認めた。僕には知る権利がある、りんに聞いても教えてくれないから勝手に見た、と。全く悪びれる様子はなかった。
あぁもうここにもいられないな…
まずはこのことを母親に報告しなければ。母親に怒られるのも癪だったが、私がドジを踏んだのだ。
案の定、母親からはこっぴどく叱られた。
「わかったでしょ?あの人は平気でそういうことする人なの!もうこれで気が済んだ?!」
そうだったんだ、私は何も知らなかった。
「あなたは子供だ、何もわかってない」と母親に言われたのはあながち間違っていなかったのかもしれない。私は子供だった。人を信用しすぎていた。
気づけば姉にも叱られていた。母親が話したのだろう。りんのせいでめちゃくちゃになった、どうしてくれるの?ままの言うことに従ってればいいの!と責められた。私はもうどうしたらいいのかわからなかった。誰の言うことも聞きたくなかった。でも自分の意思で決めたことも尽く失敗。もうわからなくなってしまい、ただひたすらごめんなさい、ごめんなさいと泣いていた。
ちなみに姉は昔から母親信者だ。母親の言うことは絶対、母親が何を言っても何をしても従う。そこに姉本人の意思は関係ない。というか姉の意思自体が「母親に従うこと」を基準に生きている感じだ。そして私に対して昔から当たりが強かった。大人になってから理由を聞いたところ、母親を独り占めしたいという気持ちがあったことで常に妹である私への嫉妬心があったらしい。第一子で生まれる人だとよくこの手の話を聞く。さらに当時の私が母親に反発したのもあり、余計私のことが気に入らなかったという。姉との関係性はこのあたりから急激に悪化した。
それまで姉と一度も暴力的な喧嘩はしたことがなかったが当時、「りんがお母さんに従うというまでこのままにする」と言われて首を絞められたり、ボールペンで腕に切り傷をつけられたことがある。傷は未だに消えず、見るたびに姉のことを思い出してしまう。
今現在、姉は30半ばになるが未だに母親にベッタリで親離れしていない。正直引いてしまう。
私の失態のせいで住所がバレた母親は、致し方なく別の場所へ引っ越した。そんなに距離は離れていない、安いアパートだった。引っ越してもなお不倫相手は居座り続けた。
いよいよどこに暮らそうか本気で悩んだ。もう手札がない。相変わらず事情を知ってるのは当時の恋人だけ、友達には受験が終わるまで話さないと決めていた。
まず学校に相談した。カウンセラーの先生から「最終手段だけど、施設に入る選択肢もある。この状況ならそれも視野に入れたほうがいい」と言われた。「ただ、そうしてしまうと今後進学や就職で不利になってしまう可能性があるからよくよく考えてね」とも言われた。正直、不倫相手がいない場所であれば施設だろうがどこでもいいと思った。
母親にその事を話した。
母親は、鼻で笑った。
今でもその時の私を蔑む顔が忘れられない。
施設?ふざけてんの?笑わせないで(笑)
もうこの人とは話にならないなと思った。
私は母親に最後のSOSを出したつもりだった。大人げなくて恥ずかしいが、施設入りの話も少々脅しのつもりでもあった。そして最後の最後に期待もしていた。どうか不倫相手ではなく、私を選んでほしいと。
だが鼻で笑われた瞬間、その願いはあっけなく打ち砕かれた。心の中でバラバラと何かが崩れ落ちでいった。
ついでに嫌なことを思い出してしまった。
ある日なんとなく魔が差して母親と不倫相手のメールのやり取りを覗き見てしまったことがある(なんでそんなことしたんだろう…笑)。そこには「りんが邪魔だ」と書かれており、そっと閉じた記憶がある。
今思うと、なぜ邪魔なのに私が離れようとするとブチ切れたのだろうか。矛盾している。寂しさかプライドか、よくわからない。施設にでも放り込めばよかったのに。変なところで母親としての想いがあったのだろうか。
今となってはもう10年以上前の出来事だが、この時に感じた「自分より不倫相手を優先された」という傷は未だに根付いてしまっている。父親とのことでも「簡単に人を信用してはいけない」ということを学んだ。
常に最悪を想定してしまうようになったのはこの時からだ。
嬉しいことや幸せなことがあっても「もしこれが全部嘘だったら、騙されていたら、裏切られたら…」が浮かんでしまうようになり、無意識に最悪のケースを同時に考えてしまう。一度裏切られ、深く傷ついたことのある人は皆この道を通ると思う。
この時から私はネガティブ思考になった。大人になって母親から「りんって本当にネガティブだよね!考えが暗い!」と指摘されるが、そうしたのは紛れにもなくあなたですけどと言いたくなる。一度、つい本人に言ってしまったことがあるが「りんはいつまで私を悪者にしたいの?!」とまたヒステリックになって責め立てたのでもう言うのを辞めた。
きっといつまでも消えないのだ。自分では乗り越えたつもりでいても、無意識に思考を支配されてしまっている。そういうものだ。そういうものだから仕方ないと言って過去を水に流すしかない。むしろ自分の強みにしてやると思った。これもある意味、許すということだと思っている。家族それぞれ、色々な形があっていいと思う。
書いていて、何が正しかったのかもうわからなくなってしまった。あの時どうするのが最善だったのか、いや、常によくよく考えた行動だった。何も後悔はない、はず。
ただ正直どこか被害者ヅラしてしまう自分もいる。苦しかったのも紛れもない事実だが、悲劇のヒロインぶってしまう時がある。そのバランスが難しい。
きっと母親サイドから同じ事象を語らせたらまた変わってくるんだろうなとも思う。不倫は絶対に悪ではあるが、今思えば母親なりの考え、姉なりの考えがあったんだろうな。
なんだか今日は話が逸れがちなのでこのあたりで区切ります(笑)
次回、次の家探し〜成人後の母親との関わりから絶縁に至るまでをサクッと書くので、④で完結になります。
こんな暗い話をここまで読んでいただいてありがとうございます。
ではまた(◍•ᴗ•◍)