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こちら少年の心、最近フレッシュさゼロのビッグテックさんへ!

昔、ビッグテックはヒーローだった。

彼らは世界を変え、私たちに夢を見させてくれた。Googleが検索の形を作り替えた時のあの驚き。YouTubeが「動画」という新しい文化を私たちの生活に持ち込んだ時のワクワク感。AppleがiPhoneで生活の形そのものを塗り替えた時の感動。その偉業の足跡。

あれは、まさに「未来」が私たちの目の前で形を成していく瞬間だった。

将来はジョブズの建てた会社に努めたかったし、奇抜な多色ロゴの検索会社で一生を終えたく思った。世界長者番付に並びつづけるスキンヘッドの王者に進んで従僕したかった。

でも、今の彼らをどう見たらいいだろう。「攻めてる」姿がまったく見えない。

YouTube Shortsが導入された時、多くの人はこう感じたはずだ。「ああ、TikTokの後追いか」って。ワクワクなんて皆無だった!まるで誕生日のプレゼントが靴下だった時みたいに。

Google Geminiが発表された時だって、便利さはともかくとして結局はOpenAIの後追いの形になった!

かつて未来を作っていたはずの彼らが、今や目の前のシェアを守るために必死で動いている。ただの「後発者」に見えるその姿に、私はなんだかがっかりした。

かつてはバットマンだったのに、今ではデスクの前に座る肥満のブルース・ウェインだ。おっと、例の"ファットマン"をバカにしているわけじゃないよ。


何が変わってしまったのか?

理由はシンプルだと思う。彼らが「攻める」ことをやめて、「守る」ことに全力を注ぎ始めたからなんじゃないか。かつて私たちが惹かれたのは、既存の常識を壊し、未来を切り開いていく挑戦の姿だった。

でも今のビッグテックは違う。リスクを取るよりも「市場の地位を守る」ことを優先しているように見える。挑戦する姿が消え失せた時、私たちの心は彼らから離れた。

人は守りの姿勢に安心こそすれど感動なんてしない。未知の領域に飛び込む無謀さ、そこから新しい景色を見せてくれる人たちに心を奪われるんだ。だからこそ、今のビッグテックに恋はできない。彼らが変わらない限り、私たちの期待はもう戻らない。

かつて彼らが掲げていたのは、「誰もやらなかったことをやる」という大義。それがいつの間にか「誰かが成功したことを追随する」という現実的な戦略に置き換わってしまった。

もちろん、戦略としては合理的なんだろう。でも、合理性だけで人の心は動かない。ロボットみたいな合理的な行動が好きなのはロボットとロボオタクだけだ。


じゃあ、どうすればいいのか?

正直、私たちの期待は完全に途切れたわけじゃない。どこかでまた「未来を作る」彼らが戻ってくるんじゃないか、そんな淡い希望を捨てきれない自分がいる。でも、それを待つだけでは退屈だ。彼らが動かないなら、私たちが次の恋を探しに行くしかない。

新しいスタートアップに目を向けるのも良い。無謀な挑戦をしている個人の開発者や、突拍子もないアイデアを掲げるクリエイターに注目するのも良い。

結局、私たちは「今を守る人たち」ではなく、「今を切り開く人たち」にこそ心を奪われる。それが本質だと思う。


私自身の方針

私自身は、もうビッグテックに恋することはないと思う。あの頃のときめきは、もう思い出のアルバムにしまっておくしかない。恋は、ドラマティックでなければだめだ。

でも、それはそれで良い。彼らには彼らの役割があるだろう。私たちにとって新しい道を切り開くのは、もっと小さな存在…スタートアップや、無名のクリエイター、独立した開発者たちだと思う。そこに期待を寄せてみたい。

ただ一つ思うのは、ビッグテックを完全に否定するのも違うということだ。彼らが作った基盤があるからこそ、新しい挑戦が生まれる土壌があるのは確かだ。でも、期待を寄せる対象は変わる。それは悪いことじゃない。むしろ、健全な変化だ。


最後に、こういう話をしていると、かつてのビッグテックが「やんちゃな少年」だった時代を懐かしく思う。その少年が大人になり、責任を背負い、保守的になっていく姿を見て、「なんか違うな」と思っただけの話なんだろう。それなら、また次の少年を探しに行こうじゃないか。

新しい未来を切り開いてくれる誰かがいると信じたい。次に恋をするのは、まだ見ぬ挑戦者たちだろう。
小児性愛は趣味が悪いかも知れないけれど、もう一度ワクワクさせてくれる相手を探しに行こう。

あなたはどうだろう?
今のビッグテックにまだワクワクしてる?
それとも、もう次の恋を探してる?

追記:AlphaFoldがあった


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