「エモい」に関して独り言
最近「エモい」と言った言葉が流行っていて身近でもよく使れているのをよく耳にする。
非常に便利な言葉であるがこの言葉のせいで物事に対する感受を極く手前の表層部分で停止させてしまう。そんな恐ろしさを孕んでいると感じる。
「エモい」は多義的に使われている。「エモい」と現代で表現されている物事はもっと豊かに表現することが可能であるはずなのである。
言語化できない感動、感情は時には人生に満足感を与えてくれるかもしれない。しかしそれは言語化を試した上で自分の辞書にある言葉で表現できない場合にその感動の奥深さを感じるのであるのではないか。
「エモい」は感受を怠り楽するために使われ、世の物事を消費するように乱暴に使われているように感じてしまうのである。
世の中に俗な音楽、映画、建築、アートに侵食されないためにも、もっと人には感受性の穴を広げ続けるそして拡張し続ける忍耐力が必要なのではないか。
「エモい」で片付けるには勿体無いほどに世界は豊かで美しいものに溢れている。日本語の形容詞は偉大だなって思う。