見出し画像

兵庫県知事はなぜ辞職を拒むのか?『失敗の科学』から読み解くその理由

最近のニュースで、兵庫県知事がパワハラ疑惑を受け、側近が自殺するという痛ましい事件が報じられました。しかし、知事本人はパワハラを否定し、辞職も否定しています。


この出来事を通して、私たちは人間が失敗をどう捉え、どう行動するのかを考える良い機会とすることができます。今回は、「失敗の科学」という本の内容を基に、人が失敗に対して取る行動を解説していきます。

政治的スタンスを表明しません。私は兵庫県民ではないですし、この知事を擁護したり、あるいは否定したりも一切しません。パワハラがあったかどうかについても深堀しません。擁護も否定もしませんので私を「○○派」というようにレッテルを張るのは禁止です。

失敗を認めない人間の心理

まず、「失敗の科学」では、「人は失敗を絶対に認めない」という重要な前提が述べられています。これは、人間の心理に深く根付いた行動パターンです。たとえ誰が見ても明らかな失敗であっても、当事者は自らのプライドや自尊心が邪魔をして、失敗を素直に認めることができません。これが、兵庫県知事がパワハラを否定し、辞職を拒否している行動に繋がっていると考えられます。

合理的に考えれば、早い段階で謝罪し、責任を取ることが賢明な判断であることは明らかです。しかし、人は感情的な生き物であり、特に失敗が自分のアイデンティティに関わる場合、その失敗を認めることは非常に困難です。兵庫県知事の場合、彼のアイデンティティの中心は「兵庫県知事」という地位そのものであり、この地位を失うことは、彼にとっては自分自身を失うことと同義なのかもしれません。


組織の失敗と個人の失敗

一方で、「失敗の科学」では、組織としての失敗は個人の失敗とは異なり、比較的容易に認められることが指摘されています。組織においては、失敗はチーム全体の問題として捉えられ、責任が分散されるため、個人のプライドに強く影響を与えることが少なくなります。そのため、企業や団体では、失敗を認め、改善に取り組む姿勢がしばしば見られます。

しかし、政治家の場合、失敗は個人の責任として強く問われます。政治の世界では、失敗の責任を他者に転嫁することが難しく、常に個人が責任を負うことを求められます。これは、政治家が失敗を認めにくい理由の一つと言えるでしょう。知事の立場にある人物が、自らの失敗を公に認めることは、その政治生命の終わりを意味することが多く、そのために一層、失敗を否定する方向に走る傾向があるのです。

失敗を認めることの難しさと解決策

では、このような状況において、どのようにして失敗を認めさせ、解決に導くことができるのでしょうか。重要なのは、失敗を個人の問題として捉えず、チームや組織全体の問題として扱うことです。これにより、個人のプライドを傷つけることなく、合理的な対処が可能になります。

ただし、政治家のように、常に個人の責任を問われる職業においては、この方法が通じないことが多いのも事実です。

政治家が失敗をすぐに認め、スパッと辞められるケースは、その人が政治家以外にも誇るべきキャリアや財産を持っている場合に限られることが多いです。たとえば、元々企業の社長だったり、莫大な資産を持っている人物であれば、政治の世界から離れても他に生きる道があるため、失敗を認めるハードルが低くなるのです。

一方で、今回の兵庫県知事のように、他に誇るべきキャリアや資産がない場合、辞職は自分の存在意義そのものを失うことを意味し、非常に難しい決断となります。そのため、彼が辞職を拒む姿勢は、ある意味では予想通りの行動と言えるのです。

まとめ

今回の兵庫県知事のパワハラ問題を通して、人間が失敗に対して取る行動パターンが、「失敗の科学」で述べられている内容と一致していることがよく分かります。

ここから先は

252字

¥ 298

いただいたサポートは全て本に使わせていただきます。新しい本を読んだら書評してまたnoteに記載します😆