宿命の果報 密迹金剛士像㉑
心と言葉について研究するリーディングマスター・まさみちです。何も見えない、何もわからない人が、ある時、見えなかったものがわかるように変わり、霊的なものや、神聖なものや、精霊といったものまで探求することとなり、どんな仕組みで機能しているのか実益部分に特化して研究しております。(61/88)
転生を股にかけて物事を読み解けるようになると、どの時代でも似たようなことをして生きているとわかり、毎度毎度、このような「見えない系」を紐解いているのだとわかります。
転生を股にかけて生きていると、「その時代に必要とされていること」をただ、粛々と生きるようになります。
千手観音の眷属である二十八部衆をリーディングして紐解くことで、物事への解釈が細分化されて告げられていると感じ、「悟りを開いている者が読み解く」なら、どのような表現をするか、取り組んでいる次第です。
28という数字から、7(仏)×4(受想行識)を連想し、その解釈で合っているという返事が得られるので、展開して解説しています。
⑮〜㉑は、「受」という本来、最初に受け取る部分として解説するものの、この領域を守護するのが「密迹金剛士(みっしゃくこんごうし)」であり、吽形です。阿吽の仁王像として、受に吽形があり、想に阿形があるのは、「呼びかける側が想うこと」と「応じる側が受け取ること」としたもので阿吽が形成されているとするものです。
三十三間堂での並びは、1番目に阿形の「那羅延堅固(ならえんけんご)」があり、28番目に吽形の「密迹金剛士(みっしゃくこんごうりきし)」があります。
ここで紹介する並びとは違いますが、リーディングで紐解かれる並びを紹介していますので、見識ある方々の順序を身勝手に変更して紹介していますが、後白河天皇に尋ねると、「このような並びで良い」というイメージが返事として届くので紹介しています。
阿(あ)がはじまり、吽(うん)がおわりとなり、阿形も吽形も同体と解釈する方が適当ではないかと思うものです。云っていることが伝わっていることを指すものです。
問いかけるものと、答えるものとの意思の疎通が成立しており、宇宙はそのように出来ているとした解釈を持っていただきたいものです。つまりは、仏という『大いなるわたし』とする存在に問いかければ、それに答えて閃きを与えてくれるものということです。
しかし、この『受』という五蘊(ごうん)の心の機能は、受け止めるだけの認識力や、知恵知識を備えていなければ「呼びかけ(求め)」に「応じる」ことが出来ないことがあると知っておく必要があります。
人と人との関わりにおいて、身に起きた出来事に応じられるだけの知識や経験が備わっていればよいものの、それが欠落している故に『哀しみ』に叩き落とされ、這い上がることの出来ない辛い状態に入り、表情が硬化して「笑うことのない」システマチックとした機械的な対応しか出来ない存在に至ることがあるのです。
「うん」と言えない体験にも関わらず、「うん」と言わされてしまい、全てが台無しになってしまった経験の欠片たちがここにあるのです。
最初からわかっていれば、「うん」とは言わないことはあるのです。
最後がそんな風になると知っていれば、「あ〜」と呼びかけることもないものです。
物事は、全てを見透せるようにならなければ、何事も上手く行くものではないのですが、それが最初から最後がわかる生き方があるのが「悟り」なのです。
密迹金剛士像(みっしゃくこんごうりきしぞう)㉑
人は「良かれ」「良いこと」「良くなること」「良くしていくこと」として、人と関わるものです。好意的に呼びかけられるならば、好意的に応えようとするものです。
関わり合いがあり、結びつきがあるから遊ぶものですし、付き合うものです。そこには共通の認識や価値観があるもので、同じものを見て笑う感覚がなければ、共にいることは困難だったりします。
「良いこと」をしているのですから「良かった」と返される体験をしたいものです。上手く行く体験ならトラブルになりません。上手く行かなかった体験が訪れると、誘ってくれた人を責めればいいのか、応じた自分を責めればいいのか、トラブルを巻き込んだ「何か」を責めればいいのか、人の心は加害者を作り、被害者に自身が陥るものです。
被害者でいる限り「哀しい」体験を正当化出来てしまう問題もあるものの、そこから抜け出して回復出来ないなら、どうすることも出来ないものです。
人の世界は何が正しいかは、時代によって大きく変わるものです。
何が切っ掛けで「迫害」されるかはわからぬものです。特に思想においては、「信じ抜くこと」を貫こうとしてしまう為、『信じる力』を持つ人との関わりは、信念を曲げることがないため、融通が利かない分、『信じる力』同士が衝突すると、激しい戦争などを引き起こし、悲劇ばかり歴史に刻まれることになります。
振り返れば信仰というものは、戦争を生み出す土壌であるだけで、平和になる反対側の側面として認知されてしまうものなのです。
第1チャクラ 摩尼跋陀羅⑮の苦悩と密迹金剛士㉑
心を「破壊」され尽くしても、「信じる力」を諦めずに持とうとすると「迫害」が続きます。
戦争に敗れようが、大切な存在を人質に取られようが「解釈を改めない」ことがあると、征服者や、勝利者は苛立ちを覚え、「信じる力」を屈服させようとまた「破壊」の限りを尽くします。
絶え間ない「迫害」が続くと、人の心は折れてしまい「改心します」や「改宗します」と、信仰を捨てたり、改めさせられると、心の「破壊」は決定的なものとなります。
信じることを奪われる体験は、人が人でなくなるようなものです。「良いものを悪く感じる」ものとなり、「悪いものを良いもの」とした解釈が育ち、その関わり方で接する為、まともな人ほど離れていきます。
「自分は間違っていなかった」
と、気づけると「破壊された心は癒やされ、否定(迫害)される日々が終わる」ものです。
始まりがあるなら、終わりが来るものです。
抑圧が溜まれば、それは噴出して津波のごとく押さえつけていた者たちに襲いかかります。
人は否定されれば否定で返されるだけです。迫害してきたなら、その報いが今から訪れるかも知れないものです。信じることをしない人にはわからぬ世界があり、信じない限りは免れることが出来ないものがあります。
それはただの物理法則でしかないものです。
第2チャクラ 大弁功徳天⑯の叫びと密迹金剛士㉑
人が一度先入観を持つと、それを覆すことは多大な努力が必要となります。
時代の流れや大衆の傾向が「迫害」に向かうと、ターゲットにされた人の人生は「終焉」と呼ぶしかない哀しい有り様に追いやられます。
みんなそれぞ、信じたいものを信じている為、大衆の傾向と逆らう言動があるとどこまでも批判し、非難し、吊し上げ、木っ端みじんになるまで叩きのめすことがあります。
多様性があり、時と場合や立場や関係性など、背景の違いや風習文化の違いを考えると、幾らでも価値観の違いがあるものです。
けれどもこれが大衆や組織など小グループにおいてでも、「正しさ」を盾にした、「間違えた者には相応の罰を与えていい」という無意識というものは、独り出に歩き、被害者を増やしていくものです。
これは加害者を捜しても見つからないものでもあります。
「みんなが言っていたから」
という得体の知れない発生元があるのです。
「みんな」を探そうとインタビューする相手は「あなた」という個人になり、大衆という「みんな」にはインタビューできない事実に気づかなくてはなりません。
誰を探しても、何人尋ねても「みんな」はおらず「あなた」しかいないのです。
そして「あなた」は「わたしは言っていない、みんなは言っていた」と、「あなた」さえ不在となり、「みんな」という存在も居なければ、「あなた」にインタビューしていても、答えるのは「わたしは」と言うのです。
「わたし」という想う人は言っておらず、大衆に溶け込んでいる受け止めた人という「あなた」は「みんな」に加担して発言していても、その正体を突き止められることはないのです。
「あなた言っていたでしょ(想)」と指摘されても「わたしは言っていない(受)」というやり取りがあるのです。そのやり取りの応酬は、辟易した気持ちにさせます。
非を認めない姿は、非を認めさせようと犯人を見つけ出し追い詰め(迫害し)ます。
「自分を偽っているのを止め、大衆やあなたの言動は『わたし』のことでした」と、意地でもこれは自分の問題に違いないと解釈を改めるとき、「終焉」なっていた自分の人生に回復の兆しを与えることが出来ます。
「ごめんなさい」
と、自分が自分を「迫害」して追い詰めていた事実を認められたとき、閉塞感が消え去り、自由がもたらされます。
「あれは私だ」
と、「反省の色がない」などと、犯した罪を前に平然としているのを「許してはいけない」と思っていたのが間違いで、自分がまず「許し」を持つことでした。
「そのままを受け入れました」
と、起きてしまった出来事は、どのようなものにおいても「肯定する」しかないものです。
自分の味方にどんな時にもなってあげられるのは自分だけだと気づけたとき、孤独は消え去ります。
第3チャクラ 摩睺羅⑰の心痛さと密迹金剛士㉑
物事における、「していいこと」とと「して悪いこと」は、経験を重ねて行かなければ身につかないものです。成人するまでに、「いいこと」ばかりをを覚えて、制御出来てしまうと、「して悪いこと」をしでかした後の回復する道筋がなく、人生に挫折してしまうものです。
「して悪いことだと知っていてもやってしまう」
とした、「背徳感」は、甘美な響きさえ感じさせてくれて、心が狂ってしまっているにも関わらず、「見つからなければいい」「隠し通せばいい」「内緒とした秘密を共有出来る喜びがある」「悪い人だからどんな裁きを与えてもいい」などと感じて実践してしまう事があるのです。
「哀しみは人の心を狂わせます」
このメカニズムは、制御できる人にはわからないものの、制御を失った人には抑えがたい苦痛として「背徳」に走らされます。
「いじめ」「暴行」「横領」「改ざん」など、見つかれば人生が破綻してしまうレベルの事でさえ、「魔が差してする」ということが起きてしまいます。
人の心が最初から制御不能だと理解されていればいいものの、されていないから「否定」と「肯定」を選べるものだと信じて疑わない、一種の「選択できる新興宗教」とでも呼べるほど、熱に浮かされている精神状態なのです。
科学的に脳は「肯定文しか認識出来ない」と立証されていても、日常では「否定」と「肯定」を使い分けて、意思疎通やコミュニケーションをするものです。
肯定文でしか認識出来ない人がいても、「そうじゃない、何度言ったらわかるの!」と、言うことを聞かせる為に、言うことを聞かないあなたが悪いという条件が揃うと、「言うことを聞かないから叩く、叩けば効果があると信じているから実行している」という意味合いにより、叩くことを正当化されている事実があるものです。
「背徳」とは、する側も、される側も、「良くないと知りつつ、あなたが悪いのよ! という人のせいにしていい理由を元に攻撃的になっていいと許す」ことでもあります。そうして執拗に攻撃することを「迫害」と言うのです。
関わり方の全てを改め、「全部従います」とした姿勢に変われたとき、虐げられて来た歴史から解放され、悪さをしたいと思いつかなくなり、相手が悪さしなくなることも起きてくるものです。
相対する関係性において、阿吽となるどちらが「気づき」を起こしても、どちらも同時に「気づき」に至り、改善するのです。
これは、「わたし」と相対する「みんな」との関わりにおいても同じ事が言えます。
みんなで引き起こしてしまった「背徳」は、私一人でみんなを「迫害」するほど追い詰めてやることで、自分の過ちに気づき、改善するものです。これは自分一人の中でする「気づき」のことであり、実際に大勢の人たちにパフォーマンスをすることではないのです。
気づきは、いつも自分から起こすものです。
第4チャクラ 提頭頼吒王⑱の誓いを忘れた密迹金剛士㉑
人との間に起こる哀しみという体験の多くは、愛する人との死別や、離別です。
死んで二度と会えなくなる哀しみも辛いものですが、生きているのに別れ別れになることも哀しいものです。
「哀しみ」は絶対修復出来ないものであり、「悲しみ」は二度と修復出来ないものと定義していたいものです。
起きてはならない悲劇が起きてしまい、それを元の状態に戻したい精神状態に「憎悪」が生まれるものです。
「憎悪」する思いが尽きなければ、その存在は嫌われ追いやられ、「迫害」されていきます。憎しみを抱く人が求められるものなどないものです。けれども、「迫害」されるほど「憎悪」は増していき、冷遇される現実を認められない為、憎しみが復讐へと駆り立て、誰も幸せになることがない道へと墜ちていくものです。
「憎悪」する相手がいる時に、その相手の憎悪を限りなく受け入れることで、追い出そうという気概が消えていきます。
「嫌なものは嫌」とした姿勢を改めるのです。
「嫌だったけど好き」に変えてしまうのです。
「憎悪」の姿も「好き」と肯定する意志を向ければ、「憎悪」は受容されてしまい、憎しみが受け入れられるほど消えてしまうものです。
「こっちに来るな!」「あっちに行け!」「こんな所にいるな!」「どっかへ余所へ!」と迫害の想念を持つのは、他ならぬ自分だと気づかなければなりません。
見知らぬ他人なら「何言ってもいい」などと、想念がどれだけ人の心を苦しめ、歪ませるか知らないと、後々に心痛なるダメージをもたらすものです。
「迫害」を止め、なぶり殺されるほどの酷いことをしたと相手の憎悪を正当性があるとして、抵抗することなく受け入れてしまうと、憎悪は消え去ります。
偏った意識で、人を愛することなどすると、嫌い合うことに繋がります。
ただじっと耐え、「今までありがとう」と、好きが保てなくなったのであるなら、その事実を告げ、苦しみの全てを分かち合い、綺麗な心に戻してから別れる事です。
伴侶に現れる「憎悪」だけでなく、自分に対する「憎悪」さえも「聞き入れること」をすることで、自分への信頼を取り戻せます。
「本当は私はこうしたかった」を見つけることです。
ここからは有料記事です。
第五チャクラ、毘楼勒叉⑲
第六チャクラ、毘沙門天⑳
第七チャクラ、密迹金剛士㉑
まとめがあります。
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リーディングで閃き降ろして書く記事は、因果を無に還しながら気づきを届けていくものとなります。 あなたさまからの応援が有り難いです。 励みになります。 これからも頑張ります!! お互いが愛の力(パワー)みなぎる範囲でのチップでお願いします。