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自殺からの救済

リーディングマスター・まさみちです。悟りを開いています。真理が何であるか体感覚で得ています。神道も仏道も多分説けます。私の人生の課題には「人々の過去世において自殺した者が今世で迷っているのでその導きと救済を担っている」というのがあります。

自殺の経験を持つ魂の救済には、私自身が自殺するしかない程の苦悩に陥りつつも「自殺しない」を選び続け、救済の道を開き、救済された状態に辿り着いた姿を見せる必要があります。

今世で「自殺した人」は救済出来ていませんので、これから「自殺するかも知れない人」の救済が目的になります。一刻を争うものですが、「自殺してから」しか事態の深刻さが周りに伝わらないことや、「死にたい」と周りが聞き及びながら「死なせてしまう」という事態をどのように回避出来るかを探究しております。

悟るほどにこの難解な自殺者問題の世界をどうやったら明確に解るように伝えられるかが課題です。

少しでも自分の心の中に分離感など傷ついた心が存在すると、コミュニケーションが成立しなくなる自分や相手がいることがわかるようになりました。些細や事なのだけれど、引っかかる場合は情報が頭に入らなくなったり、気が逸れて聞いていなかったりするようになります。

その一つ一つの自身の分離感をひたすら統合していく道のりです。

私と妻の歩き遍路はまさに心の統合に向けて不可欠な道のりでありました。

自殺するしかない程の苦悩に満ち満ちた心中からの回復の道は常に理解を超えたところにありました。

考えたら当たり前のことなんですよね。

現象界のトラブルは、全て心の傷から発生しているのですから、「知っている範疇には答えがない」訳です。「知らない範疇に答えがある」ものですから、未知なる領域から閃き降ろされてこないと「わかった!」という納得体験に至らないのです。

「答えは自分の中にある」

という言葉がありますでしょう?

「はぁ? あるならとっくに気づいて変化しているよ!!」

なんてやさぐれていた心もありました。
実際私の場合は、内観で得られた気づきは途中までで、結果的に外観と内観を同時に行うような離れ業を身につけて、超越的な「天」の領域からもたらされる「気づき」により、「答え」を得られるようになると、

「答えは至る所にある」

という臨在という感覚で説明するようになって行きました。

物事の道理が見えていない人からは、物事の道理が見えている人の世界を推し量ることが出来ないものです。

自殺者の始まりは、道理が見えている子どもが、道理が見えていない大人や子どもに囲まれた際、全否定で関わられた時に発生するものです。

人の心を人が映し出す鏡のような存在であることが知られていても、自己犠牲の価値観を持つ多人数で一人を取り囲むと、中心にいる一人は自己犠牲の檻に閉じ込められているような感覚に陥り自動的な自殺を図ります。

周りの人たちは自己犠牲(私が我慢すれば済むこと)を好意的に捉えている為、その隠したはずの犠牲的概念が鏡として映し出されて愛する人を自殺に追いやるなど「想像する事も出来ない」ですし、「事実だとするなら、認める訳にはいかない」ものとなります。

自分の中にある「自分が我慢すれば良い」という想念で人を死に追いやることが出来るなど、考えたくもないものです。

自殺するまで「全くその症状が見えない」ものですから、「自殺前に注意すること」など出来ないものです。何故なら、自殺前に周りの人たちに注意喚起するなら、「悲しくてたまらない」精神状態に追いやられてしまうものですから、「脅迫された」とも誤解され兼ねませんし、「言いがかりだ」と信じて貰えないことさえ起きて来るものです。

何しろ愛している人に向けて、「その愛し方が自殺を招く恐れがありますよ」と伝えるのですから、聞かされる側はたまったものではありません。

その為、問題前には行動に移せないのです。
警察機構みたいなものです。事件が起きてからでしか動けないというものです。

その為、個人個人が自発的に「自分が加害者かも?」という発想を持てるようになり、「加害者と被害者は相対的なバランス関係にある」と解るようになると、家族や友人の微細な変化からも「もしかしたら?」と隠された問題を発見出来るように至れるのが仏さまとの対話なのです。

幸せの時でさえ、「見落としているものはありませんか?」と、仏さまに伺えば、答えてくれる道があります。

Instagramのライブ配信にて八十三番札所・一宮寺にて聖観音菩薩さまからのメッセージを届けています。

見落としている課題というものを問いかけて答えてくれる世界があります。
聖観音菩薩さまは、受け皿の大きな仏さまですから、穢れた心も全て明らかに出来ると洗われていくものとなります。

物事を清らかに見ること、聖なるものとして扱うことはとても大切なことです。

証拠を見ている限りは、「汚い言葉」として認識出来るかも知れませんが、本当に伝えたい純粋な思いを見抜ける力が持てると良いですよね。
何より、「美しい言葉」を使っていたとしても「きれい事」ばかりで囲まれていて、どこにも「汚いもの」を出すことが出来ないなら「トイレのない家」のような世界を創り出してしまうかも知れません。
そんなきれいな言葉に囲まれて窒息する人が自殺者として列に並んでしまうことがあることを知っていてほしいものです。
「美しい言葉」の裏腹に「汚い言葉で埋め尽くされた心」を感じ取れたなら、「自己犠牲が美徳」ではなく「自己犠牲で愛する人を自死に追いやる」こととして認識の一つに加えてくれるとみんなで「自己犠牲の美徳をやめる」ことが大事だとわかるのではないでしょうか?

自我という「我思う故に我あり」というネガティヴな表現は、愛の欠落から発生しているものです。それが本質であるというなら、世界中の誰もが傷ついており、病んでいることになります。

それだけに自分の自我を愛に還して「わたしが愛です」とした認識を抱き、人にも与えられる存在として生きられるようになる「自殺者のいない世界」を創造することが出来るので、是非とも協力して欲しいとお願いしたいのです。

愛の道があります。

共に歩きませんか?

リーディングマスター・まさみちの「まさみち」は、漢字では「真道」と書きます。
父親が名付けてくれた大好きな名前です。

真理に至る道を知っています。

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