逆転と正転の輪廻 金剛夜叉明王⑫
リーディングマスター・まさみちです。輪廻転生から、亡くなられたあの人からの手紙など、見えない世界のことなら何でもござれで心理カウンセリングしています。もっぱら、親子関係など純粋にミスコミュニケーションを正していくための、対処療法ではどうにもならない深淵の問題を紐解いております。心の研究を独自ではじめ、ひたすら自身のマイナス要素をプラス要素に反転していたら、悟りを開いてしまったので、それにまつわる記事を書いております。(29/88)
修行らしい修行はしていないものの、日夜自分との対話が修行というなら修行であり、ひたすら自分の疑問を天と相談して紐解き続けたら、ここに至ってしまった覚醒者です。
この動画は「死について」リーディングで紐解き、皆さんに少しでも「目覚め」とは何かを伝えています。今回の、「金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)」にも関連する動画ですので、良かったら見ておいてください。
薬師如来にまつわる十二神将の中でも「夜叉」という言葉が出て来ております。ググると、大日如来に威徳されて守護に変わったとされる解説がついています。
ここでは「夜叉」をただの「エゴエゴ」と訳しているくらい、身も蓋もない表現をしており、昔の話だと「己の解釈の正当性を貫く為(我が子を守る正義の為)なら、生き残るにはやも得ないことがある」として、争いを正当化する判断が強く、口を開けば相手を非難することになる心の働きのことです。
夜叉とは、「だって」「でも」「仕方ない」「あいつも」「みんなが」「言われた通りにしている」「聴いていない」「怖い」「何もしたくない」「生きててもいいことない」「怒られたくない」「責められたくない」といった想いが浮かぶ状態のことです。
金剛夜叉(こんごうやしゃ)の部分だけで解説すると、「みんなに合わせないと」「みんなに迷惑かけないように」「みんなに従おう」「みんなと違っていたら変だ」「みんなに馴染めない」「みんなに怒られないかな」「みんなに嫌われていないかな」「みんなには言えない」「みんなのところには居られない」や、「親の言うとおりにしないと」「親に迷惑かけないように」「親に従っておけばいい」「親と違う価値観はダメだ」「家族に馴染めない」「親に怒られないかな」「家族から嫌われているに違いない」「家族には内緒にして欲しい」「家の中に居場所がない」「なんで生まれてきたんだろう」「誰もわかってくれない」といった心の声などを指します。
夜叉も金剛夜叉もエゴでありエゴエゴと表現するには悲しい限りのもので、バッサリ「それエゴだから」と指摘されたところで、この心の悩みを抱えている人に取って、生き地獄のような毎日の筈です。現代では、相手を非難する夜叉もあるものの、深刻なのは自己卑下してしまい、自己承認出来ない人は、相談することもなく心を閉ざしてしまい、社会から孤立してしまう問題があります。
ですので、「うちの子、金剛夜叉かも知れない」と感じられるなら、親が「金剛夜叉明王」といいう仏になり、我が子を救い出す智慧を持てるようになることです。
エゴエゴの当事者が明王として目覚めるよりも、その周りにいる家族が明王として目覚めるものだと感じていて欲しいものです。
今の解釈が、正転であるなら逆転する発想を抱けるようになることです。つまり、我が子や家族に関わる方法を根本から変えてみることです。“子が親の顔色を伺い”、“気を遣い”、“心象悪くならぬように怯え”、“萎縮して”「良い子を演出している」としたら喜べるでしょうか? 又、“子が親を罵倒し”、“荒れに荒れ”、“憤慨し敵意しか見せず”、“子が親を無視し、何も解らせようとしない”としたら喜べるでしょうか?
何が原因でこうした子どもを生み出すかを考えなければ成りません。
大日如来の威徳とは、真理に基づいた一切の否定することが出来ない間違いの指摘と、改善するための得るべき智慧を明らかにして伝えるもののことです。
ぐぅの音も出ぬまま、道が開けた喜びの方が勝り、改心することです。
金剛夜叉明王⑫
人として尊敬されるべき人でいるには、子どもや後輩や生徒に対して威厳ある姿で接する必要があり、間違った接し方をしないように「善悪」を教えます。“何をすれば喜び”、“どんな気持ちにされると怒り”、それは悪いことをしたと泣かせて躾(しつけ)ます。又、“何をすれば悲しみ、それが悪いことと知らせ”、“明快に笑って見せ”、それが喜ばしいことだと教えようしますが、どちらも上手く行かない時があります。「善と悪」や、「味方と敵」、「優秀と劣等」、「正解と誤解」といったニュアンスを使って教育を施そうとします。目の前に居る人には「善、味方、優秀、正解」として関われても、ここに居ない人には「悪、敵、劣等、誤解」を持たせる相対的な関わりが発生している事実を見落とします。「あの人優れているね」という会話を聞き、「私は劣っているんだ」と解釈する繋がりを理解出来ない人がいます。この無理解な状態をエゴエゴ(金剛夜叉)と表現し、仏性が宿らないコミュニケーションをしてしまうことを問題にしています。全ての物事は常に“相対性が働き”、“主観性の中の出来事しかなく”、“真理に基づくしか智慧として成立せず”、“純粋な真心とする清らかで美しい在り方”を基軸にして考えさせていける道を与えなければ、人の心は立ちどころに病む人がいるものと説くものです。“多数を助け、少数を犠牲にする”、“多様性を許容し、単一性を排除する”、“順応性を求めつつ廃し、無性を拒みつつ選ぶ”、“絶対値を教え、相対値は教えない”ことで、誤解を増やし、誰かが大切な我が子や後輩や弟子を劣等扱いし、敵にしか思ってもらえなくなり、陰で悪口を囁かれることが絶えなくなり、エゴ(夜叉)やエゴエゴ(金剛夜叉)に埋没するものです。人との対立を前提とした教育が根強くあり、避けられない現状がある為、個人が適切な知恵(知識と経験からもたらされるもの)と智慧(真理からもたらされるもの)を育て、自己防衛していかなければ、誤解の波に呑み込まれ、知らぬ間に心がエゴに寝食されることがあるのです。不快な関わりがあるなら、家族や先輩や師が手本となり、“無条件に許し”、“最後まで話を聞き出す力を持ち”、“一緒になって苦痛を共にして答えを探してやり”、“どんな目に遭おうとも絶望から回復させる道を開くこと”を諦めずに態度を示し続けることが出来れば、病んだエゴエゴの心は、真心を見出すことが出来るものです。嘘をつくと、その嘘をついたと告白して改めるまで、誤解した解釈を改められなくなり、「正義という名で振るう拳」と相対に「悪くもない敵に見えそうな自分より劣っている人を殴る」ことを止められないものです。その何も悪くもない敵が、子や後輩や弟子という事実であり、一体誰が正解を示して喜んでいるのか、何も見えなくなっているのを、目を見開いて、見えない世界さえ見抜いて、手を尽くして、誤解を止めてみせると全身全霊を賭けて『気づき』を起こそうとしている存在です。
三面六臂(さんめんろっぴ)という、顔が三つあり、腕が六本あるのは、過去世、現世、未来世にも顔を向けて隅々まで調べ尽くす意識があることを示すものです。三対の腕は、上・中・下に向けての動かし方の違いを示しており、目上に対してゴマをする人も居れば、目上に対して真っ直ぐ意見を述べる人もいることを表し、立場や環境や気位によって、人の姿勢は変わることを教えてくれるものです。
顔には五つの目があります。中央の目が「真理を見つめる神眼」を指し示しており、仏教では「法(真理)」のことであり、誰であっても「法を捉えられる僧(心の中の導き手となる自分自身たち)が居て、相談し合っており、確実に法に従って歩けるもの」と解らせるものです。どんなに不可解で、知らない出来事であっても、「仏が導いてくれる友(家族、先輩上司、師)が居てくれる」と気づかせてくれるもので、例え友がいない人でも、心の内側に仏となる自身が導いてくれるものとして感じられる目のことです。
真ん中にある二つの目は、男女の解釈が陰陽と合わさって一つの出来事や物事を理解し、解釈し、意味を共有していることを指します。
下の二つの目のうち、左目は男性だけの解釈で女性は理解したくないもの、右目は女性だけの解釈で男性は感じ取れないものです。
この五つの目が正常に機能し、開眼している時、この眼差しに見つめられる人は穏やかであり、心安らかに至るものです。正確に表現するなら、一方が見つめるだけでなく、相対する相手にも五つの目が開眼している時に心の静寂は得られるものです。
繋がり方
金剛夜叉明王を、前後左右上下に配置した鏡に一面だけに投影し、真ん中に自分が居ます。未来を憂うなら前、過去に囚われるなら後、目下への手間は左、目上の問題は右、超越する課題なら上、見限った中にやり残した業(カルマ)があるなら下、に鏡を配置して金剛夜叉をイメージします。複数の課題を感じられるなら、二面〜六面全部利用することも出来ます。奥が深く、深淵さを感じるような問題だと感じられるなら、鏡の中に鏡を配置していきます。一、十、百、千、万という鏡の中に鏡を用意し、最大値は、無限をイメージすることです。この意識の範囲は神眼に頼ることで導かれるまま繋がります。「仏法僧」とした三宝の導きを持っている必要があります(キネシオロジーテストが自在に使えるレベルが必須)。
参考事例を紹介します。
今回は、過去に囚われていて、見限った中にやり残した業(カルマ)があるとした後下の二つの鏡を用意し、一万枚の鏡の中に鏡を用意し、その中に金剛夜叉をイメージして、取り組みます。
自分「私が見限ったまま、過去に引きずられて困っていることを教えてください」
金剛夜叉明王「人のせいにすることを止めぬこと」
自分「私が見限ったまま、過去に引きずられて困っていることを教えてください」
金剛夜叉明王「人を悪く扱い、敵視すること」
自分「私が見限ったまま、過去に引きずられて困っていることを教えてください」
金剛夜叉明王「人を嘘つき呼ばわりし、無視して誤解を止めぬこと」
自分「私が見限ったまま、過去に引きずられて困っていることを教えてください」
金剛夜叉明王「人の意見を否定して終わらせ、聞く耳を持たないこと」
自分「私が見限ったまま、過去に引きずられて困っていることを教えてください」
金剛夜叉明王「自分が不快になるのは人のせいではなく、自身の無知さから来るものだと認めぬこと」
自分「私が見限ったまま、過去に引きずられて困っていることを教えてください」
金剛夜叉明王「あなた自身の現状の心と同じままを鏡のように映し出す人を、『それは間違っている』として、悪く扱い、敵視し傷つけ、劣ったままに固定し、誤解したままにして、想念の矢で貫き、邪悪な剣で切り裂き、鬼の裁きを受けよと縄で縛り上げ、自己犠牲を強いる印を結ぶことで、永続的に真心を映し出す人を懲らしめ、業(カルマ)の深さに気づかぬこと」
自分「私はどうすればいいか教えてください」
金剛夜叉明王「『ごめんなさい』と謝りに行きなさい」
自分「私はどうすればいいか教えてください」
金剛夜叉明王「『罰として聖人に成る』と誓いなさい」
自分「私はどうすればいいか教えてください」
金剛夜叉明王「『喜びと共に人に尽くします』と即身成仏として、仏そのものとした振る舞いに徹しなさい」
自分「私はどうすればいいか教えてください」
金剛夜叉明王「『嘘で誤魔化すのを止めます』と声に出して宣言しなさい」
自分「私はどうすればいいか教えてください」
金剛夜叉明王「『真理について学びます』と教えを請いなさい」
自分「私はどうすればいいか教えてください」
金剛夜叉明王「『自分が自分を育てます』と自分の中にいる仏が、自分を導くと手を引かれなさい」
自分「私はどうすればいいか教えてください」
金剛夜叉明王「全ての判断を『仏法僧』に委ねなさい」
自分「私はどうすればいいか教えてください」
金剛夜叉明王「自分の為に泣きなさい」
自分「私はどうすればいいか教えてください」
金剛夜叉明王「『他人を最初から信じて委ねなさい』と自分に誓えば、誓う中であらゆる恐れを見つけることが出来るので、それを受け入れ、理解し、恐れを無くしなさい」
自分「私はどうすればいいか教えてください」
金剛夜叉明王「『嫌い続けていいものはない』と改め、受け入れる必要のないものは『済みません』と、用事が無いこと、用が済んでいることを告げ、取り入れる手立てが無いことを示し、相手に考えを改めさせるよう促しなさい」
自分「私はどうすればいいか教えてください」
金剛夜叉明王「『救いは現れた』と声に出して言葉にし、耳で聞き入れ、話している自分が救いの主で、聴いている自分が救われる人であり、両者が一つになることで、人生の主人が自分自身である「わたしと私」のことだと解りなさい」
自分「私は救われたのですか?」
金剛夜叉明王「はい。(微笑んでいる)」
といったやり取りが浮かぶかも知れません。これは大日如来の威徳出来るレベルまで到達していなければ、対話にならない事例でありますが、大日如来が何かがわかるなら、出来るものです。
明王に位置している仏ですから、礼節を重んじる領域です。
北を守護している金剛夜叉明王⑫の立ち位置と連携した気づきをもたらすなら、天部の北には多聞天③と関連しているものでもあります。
金剛夜叉明王が抱える問題やトラブルは、多聞天③として、傾聴を重ねて従って来た筈なのに、上手く行かなくなっている事実を解き明かす仏なのです。
この動画には、鏡の法則が解説してあります。
天の多聞天③の問題に、「見たくないものを映し出す鏡」があります。(聴くことが出来ません)
明王の金剛夜叉明王⑫の問題に、「真逆を映し出す鏡」があります。(ハウリング現象のように火がつくと烈火のように激怒してしまい、手がつけられなくなる問題が隠れている)
菩薩の金剛薩埵菩薩⑳の問題に、「見つけられないものを映し出す鏡」があります。(客観的に捉え(菩薩は観点が三つしかなく見落としがある為)、非が見つけられないため、対立するとトラブルにしかならない問題がある)
如来の阿閦(あしゅく)如来⑲の問題に、「そのままを映し出す鏡」があります。(協力状態であるなら共振し合って、良質な関係が高まるものです。反発状態だと、全ての負荷を背負わされる“しんどい”状態に潰されて、動けなくなる問題がある)
それぞれ北を守護する仏たちですが、この金剛夜叉明王が「逆」を司っている反転している事実を見抜く神眼を宿す仏だとわかると、この知識から「もしかしたら私の姿が真逆に子どもに投影されているのかも?」と考えるだけで、金剛夜叉から、金剛夜叉明王に即身成仏出来ます。
気づきは、とてもささやかなことに意識を向けられるかどうかにあります。
明王はどれもおっかない忿怒の相を示しています。その理由として、大切な子や弟子が、親や師の真逆に映し出された姿として投影され、「何だその目は!!」と目つきを叱っているのが、親や師の隠れた内面の姿が、表面化しているだけなのです。自分で自分の姿を叱り飛ばしておきながら、「効果が現れない時」は、自分が金剛夜叉という邪鬼や邪悪な存在に陥っており、何度言っても効果の無い無意味な方法論に固執している事実が見えないのです。
これは後々恨まれることになり、力関係が反転した時逆襲に遭うので即刻止めてください。
上司部下の関係なども、この真逆に映し出される鏡の法則は見抜き難い問題です。友人ともあります。夫婦などはてきめんに現れやすい問題です。
輪廻転生では、立場が逆転して生まれて来ることがあります。
地位があるなら、地位がない立場から、豊かな環境なら、劣悪な環境で育てられる体験があります。親が居る体験なら、親の居ない体験にもなります。
知性ある親に育てられたなら、知性の偏りのある親に育てられることが起きることもあります。
常識では考えたくも無く、「在っては成らないこと」と定義すると、その真逆に「在ってしまうこと」として相対が働く事実に世界が気づく必要があります。
金剛夜叉明王の解説を何度も読み直し、心の構造としての相対性を知ることが、真理への理解を深め、この死んだ世界を生きた世界に変える力になるものです。
今が彼岸というあの世なのです。
今が此岸というこの世に渡る為、真理から閃き降ろされる智慧に従って生きられる人であってください。
いかがでしたでしょうか?
では、また。
リーディングマスター・まさみち。