-怨霊-菅原道真
-自己紹介-
真理を閃き降ろして今ある問いに今答えることで問題の根源を無に還すことをしている「真空のまさみち」です。心理カウンセラーをしています。
歴史の因果関係や史実に残っている情報と、見えて来ない歴史に埋もれる心の中の出来事をリーディングで読み解いて、みなさまに深い解釈を閃き降ろして納得できる解(真実)をご紹介しています。
リーディングで呪詛を解く
今回は福岡県太宰府天満宮まで行き、直接肌身で感じた「学問の神さま」と祭られている『菅原道真』の詛(のろ)いと、祭り上げた呪(のろ)いによって、呪詛(じゅそ)が発生して、とんでもない「封じ」がここに起こされているものを感じて紐解いてみました。
途中まで読んで、「面白い」「応援したい」「真実だと頷ける」と、共感していただけたら、途中から有料になっているので、ぜひ購入してください。
こうした見えない歴史の情報の共有と、あなた自身も無意識の内にこの「呪詛」に取り込まれていたんだと知り解放される体験の大切さを感じていただけると、無意識に擦り込まれた問題は取り除いてもらわなければ何も変えていけないものだと知って欲しいのです。
事前に明言しますが、菅原道真(すがわらのみちざね)は「真空のまさみち」の過去世ではありません。まさみちは、「真道」と書くので、その反転した「道真」は当人だと思われるかも知れませんが、別人です。
何度も何度も確かめましたし、今生でも転生体の方と出会っております。
その方は呪詛の為か、パニック症状が酷くて大変でした。
その呪詛を少しでも祓い清められるように、この記事を書いております。
最後まで読んでください。
言葉の定義
呪詛とは
陰・人を精神的な力で不幸な目に追いやり、時に病や死に至らしめるもの。
陽・理性的な判断力を奪い、認識力を低下させ記憶障害や適応障害に追い込んで混乱させるもの。
呪(のろ)いと詛(のろ)いの文字の違い
口に兄と書く「呪」という字が持つ本来の意味は、「最初に口にした通りになる」という意味合いである。
陰陽師0という映画を観ていただければ「呪(しゅ)」という解説がザックリある。信じ込ませることの総称のような言葉が「呪(しゅ)」であり、「呪い」の始まりである。
思い込みと表現するなら、この世界は全てが思い込みに等しいものだ。
始めての体験の時、学びを得る人に嘘を教えるようなことをしたらどうなるのか想像してみて欲しい。
家庭内ならあるあるの話だ。
小さい子に親が、またお兄ちゃんが妹や弟に「冗談のつもりで意地悪をして嘘を教える」ことなどすると、それで元で呪(しゅ)にかかる。
「間違いを教わった体験はうまく行かない為、その後も間違える」ことになり、それは取り返しがつかない問題に発展すると知ってくれるといい。
子や妹や弟などからしたら、「初めて体験はうまく行かない」が擦り込まれることになるが、親や兄や姉などからしたら、「ごめんと謝ったし、訂正したから大丈夫。自分もかつてやられたことがあるからこのくらいは冗談だし、大事に至っていない」という思い込みにより、子や妹や弟の境遇が親や兄や姉とは違う立場にあることが理解できないのだ。
問題にならない上の立場と、問題続きの下の立場は、常に親や目上が目下を面倒を見なければならない「呪(しゅ)」がかかる。
「呪(のろ)い」というものは、上の立場のネガティヴを含んだ表現で、下の立場が狂うことを示す。
言偏に且(か)つと書いて「詛い」と書く。
この「のろい」というものは、並列に同時進行に囲い込むように否定することで機能不全に陥らせることを指す。
一般にいう「のろい」をイメージするなら、「詛」の字を指すものである。
しかし、「詛(のろ)われた状態になる」と、その後口にする言葉が否定的となり、自分で放った言葉により「呪い」が発生し、詛われ呪い、呪い詛われるという相互に封じる関係になり、「呪詛(じゅそ)」となって動き出せなくなる問題になる。
詛うとは、同じように否定的に感じている人たちがたくさんいることで力を増す。
一人で詛う場合は、「普通」や「常識」というものと比較することで「大勢の人たちも同じように想う」とした力を利用して詛いをかけるものだ。
「どう考えても、どっからどう見てもお前がおかしい」とした発想は既に「詛われている」に等しい状態を示しているものだ。
そんな事を口にしていたら、誰しも「詛っている」ことになるくらい、「詛い」などというものは、ごく一般的なものとして浸透しており、詛い詛われた関係の中で、強く生きているのが現実である。
つまり、特別な事でもなんでもなく「この現代社会は既に呪詛の中にある」というものだ。普通すぎて話題にする必要もないことを伝えておくものだ。
「呪詛」を呪いと扱う
今の時代では、細かな分類などどうでもよく、「呪詛」全般を一括りに「呪い」と扱うものだ。
右大臣・菅原道真が無念の内に亡くなったとされ、その後の凶事がどれも道真の怨霊(呪い)のせいに違いないとされ、「太宰府天満宮」に祭られるまでに至った。
実際問題、道真からの怨霊の類いや呪いはあったのか?
というと、リーディングで知って解ったのは左大臣が天皇に呪いをかけたことが始まりである。
呪ったのは左大臣である藤原時平の讒言(ざんげん)(昌泰の変(しょうたいのへん))により、道真は太宰府に左遷される憂き目に遭うのが始まりとされる(詳しく知りたい方はググって詳細を集めて欲しい)。
この讒言(ざんげん)という言葉の意味は、上位の存在に嘘を含む虚言をついたことを指す。この讒言(ざんげん)が「天皇を呪った」ことに値するのだ(道真を呪ったのではない)。
知識なき天皇に知識ある左大臣が事実無根の嘘の話を信じさせたのだ。
「宇多上皇を欺き惑わした」
「醍醐天皇を廃立して娘婿の斉世親王を皇位に就けようと謀った」
これは道真にとって嘘の話(リーディングで真実と出る)だが、この左大臣・時平の声に醍醐天皇が従うことが「呪い」でもある。
左大臣である藤原時平が天皇を「呪詛」したのが正しい解釈である。
左遷の嵐の反動が呪いとなって見える
「昌泰の変(しょうたいのへん)」のリンクを辿れば道真以外にもたくさんの人たちが左遷され、流罪に当たっている。
冤罪でしかないが、冤罪を招き入れるだけの何かが働いていたから、天皇を欺いてでも左大臣(時平)は右大臣(道真)が邪魔だったとなる。
この無理矢理に物事を推し進めてしまった呪詛の仕組みを解説する。
「宇多上皇を欺き惑わした」
「醍醐天皇を廃立して娘婿の斉世親王を皇位に就けようと謀った」
このようにWikipediaで紹介されており、リーディングしても概ねこのようなニュアンスでよいと出てくる。
これを陰陽五行で解説する。
怨霊だとか、呪詛だとか、菅原道真公好きとか、なんだか滅茶苦茶怪しいけれども、因果関係を全て読み解いた書物を読みたい方にオススメです。
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