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私が仏 金剛薩埵菩薩⑳

リーディングマスター・まさみちです。リーディングという手法により心理カウンセリングをしております。目に捉えられない微細なものを読み分けて、深層心理や潜在意識に隠された認知の歪みを正し、人生を生きやすくするお手伝いをしております。最近は、六道輪廻にハマった地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界からの脱出する為のカウンセリングも行っております。四聖にも同等の心の傷があると判明し、その領域への救済も承っております。(37/88)

空海が残した東寺・立体曼荼羅の解明に取り組んでおります。

心の探究をするとき、胎蔵界(客体)と金剛界(主体)の違いを理解することが大切です。(※修正、金剛界を客体、胎蔵界を主体と表現していたのを訂正致します)

真理を追究するには、主観(主体と客体が合わさるもの)が重要となり、客観(客体と客体の集合が合わさるもの)では捉えられない為、本人が感じ、掴み取るものが大切になります。

客観視からは、主体が不在になる為、客観性のまま行動を続けると自己犠牲とした振る舞いを継続することになる為、心的ストレスが増大する傾向があり、イライラするなど、落ち着きがなくなることがあります。

自分を観察して制御するセルフコントロールする能力が大事なことですが、自分の思い込みの世界(胎蔵界)に閉じこもり、迷妄に耽って行動することがあります。

胎蔵界曼荼羅には、中央に中台八葉院があり、その周囲には、遍知院、持明院、釈迦院、虚空蔵院、文殊院、蘇悉地(そしつじ)院、蓮華部院、地蔵院、金剛手院、除蓋障(じょがいしょう)院があります。思い込みをざっくり説明します。

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①蘇悉地(そしつじ)院……後悔の中に閉じこもる思い込み。
②文殊院…………肩書きの思い込み。
③地蔵院…………ゲームや夢想をしているときだけ生きている実感がある思い込み。
④除蓋障(じょがいしょう)院……劣等者は排除して構わないとした思い込み。
⑤虚空蔵院………叶わない夢を見て嘘の希望を抱く思い込み。
⑥釈迦院…………悟った気でいる思い込み。
⑦金剛手院………理論武装し、否定すれば心は守れるとする仮初めの主観とする思い込み。
⑧蓮華部院………現実を直視しない思い込み。
⑨持明院…………証拠に基づいて断罪することを正義の裁きとする思い込み。
⑩遍知院…………一方的解釈の押しつけをする権力者の思い込み。
⑪中台八葉院…嘘の情報を根拠に価値観を育て上げて人格を形成してしまった思い込み。


このような傾向があります。自我となる人の心は、事実から目を背け、自分の都合の良い解釈だけを持ち、大衆に迎合することを拠り所にし、意味を考えずに動くことを示します。これが重複し、業(カルマ(行為))を形成し、認知の歪みを正せなくなり惰性で生きるものです。

金剛界曼荼羅には、四印会 、一印会 、理趣会、供養会 、成身会 、降三世会、微細会 、三昧耶会 、降三世三昧耶会があります。ざっくり説明します。

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①一印会…………「無」となる根源のこと。大いなるわたし。
②三昧耶会………「全」となる空のこと。臨在のこと。
③降三世会………「十」となる陰陽の働きのこと。相対のこと。
④四印会…………「知」となる象徴の関係性のこと。
⑤理趣会…………「真」となる理のこと。
⑥供養会…………「言」となる始まりと終わりのこと。
⑦成身会…………「光」となるあらゆる投影される人のこと。
⑧微細会…………「愛」となる繋がりのこと。
⑨降三世三昧耶会……「命」となる世界そのものと心の素のこと。

という分類が出来ます。この胎蔵界と金剛界での客体と主体のやり取りを通して、様々な心の姿が現れ、他者を通じて「人」として生きているものです。

金剛界を捉えることが困難である為、仏像など立体曼荼羅に映し出して、少しでもイメージし易いように説いてくれているものですが、解説があったとしても掴むことが困難となるものです。一定の勉強をすれば、その知識の豊富さにより「こうだ」と解釈出来るものとなりますが、他人の「業」を取り除くなどの救済が出来るかどうか? 本質的な実用性を伴う気づきを促すことが出来るかに寄ります。

胎蔵(たいぞう)とは、「思い込みのこと」であり、「人から教わった知識が一人歩きして自我を形成し、客観視こそ心の在り方である「私」だと錯覚していること」です。

金剛(こんごう)とは、「嘘のないこと」であり、「証明する必要のないものであり、“生命”の源や、“歓喜”そのものや、“真理”であり、“無”などを総称するもののこと」です。

薩埵(さった)とは、「人々の純粋な思いにより生み出されるもの」であり、「いかなる時もそこにあり、問えば答えてくれるものであり、自我を見守る眼差しのこと」です。

金剛薩埵菩薩⑳
何かを覚悟するときなど、大きな決断を下すときに働く心の作用があります。使命感がある時や、譲れないものであったり、犠牲を払うことになったとしても貫き通さなければならない時があります。立場であることもあれば、言いだした手前であることもあり、やり遂げるべき理由は様々ですが、強くなければならないことです。

取り組む過程で、力不足に直面したり、邪魔されたり、事故に見舞われたり、病に倒れることになるなど、不慮となる問題が起きても強く乗り越えて行くことが求められるものです。

不退転の決意が問われます。胎蔵界における様々な客観的情報を収集することが出来ると、目標となる夢に対して、到達可能な気持ちになることがあります。しかし、大切なことは金剛界における根源となる「無」からの思いがあるかどうかです。これは「力不足」「邪魔」「事故」「病」などが起きても挫けず、諦めず、退かず、嘘をつかずに取り組めるかが大事な要素となります。

夢を思い描き、「プロのミュージシャンに成りたい!」と思ったなら、「誹謗中傷」「楽器を壊される」「家族の猛反対に遭う」「騙されて人生棒に振る」などの困難に襲われても乗り越えて行く気概があるかどうかが大事な要素です。

大抵の人は「そんなの嫌」と否定するものです。否定し嫌がることで、問題を回避出来るほど、人生というものは思い通りに成りにくいものです。それを思い通りに変えて行く力は、決意や覚悟がどれほどのことかです。プロを目指し始める時点で、夢を笑われ、足を引っ張られ、邪魔され、騙されるなどされるとしたら、心が折れに折れるものです。それでも「負けない!」と諦めずに立ち向かう勇気などなければ難しいのです。

物事に注意し、慎重になり、深く勉強しようとすると胎蔵界の文殊院となる「肩書きの思い込み」に取り憑かれて「学校に行けばプロに成れる」という錯覚に取り憑かれたりします。夢を食い物にする人はいくらでもいて、「応援に見せかけて搾取する輩」は幾らでも存在し、入学するのも、学費を払うのも自分で決めることなので、それらを「詐欺」とも呼べませんし、訴えようもないものばかりです。

自分で賢くなり、金剛界からの思いで動き出せるかです。リスクは回避したいものですが、回避しようとして出来るなら楽な話になります。回避出来ないとするなら、正面から向き合うことや、冷静な判断力や知恵を育てることが大事になります。技術の向上だけでなく、人とのコミュニケーション能力を高めることも時には必要かも知れません。生きているだけで、不満をぶつけられ、非難されるものです。それ故に、安全な道や生き方を選びやすく、安定性の高い職業を選べばいいとして、「夢など持たない方が幸せでいられる」とした解釈もあり、胎蔵界の「中台八葉院……嘘の情報を根拠に価値観を育て上げて人格を形成してしまった思い込み」に従って生きようとすることもあります。

苦しくないように、辛くないように回避する生き方が、「生きる意味を見失い」「死にたい気持ちから離れられない」という感覚に染まり、仕事もあれば衣食住足りていながら、無気力に陥っていくことがあるのです。それは金剛界となる主体的な自身の本質に触れられていないからです。

傷つかないように気をつけた時点で胎蔵界に呑み込まれていくほど、自我が作り出す嘘の事実を信じ込みやすいものなのです。知識を正しく持ち、理解が深まれば心を不必要に守ろうという発想は少なくなります。対立する姿勢より、協調する姿勢の方がより良くなるとも解るようになると、防御しようともしなくなるものです。プラスの関わり方を考え、より友好的に、建設的に、互いに喜び合える方法を模索する関係を高め合うようになります。

人に望まれることが大切なこととなり、相手に必要とされ、よく理解し、喜ばれる存在でいようとするものです。しかし、それが偏りすぎると我慢や無理するようになり、本質の夢から離れてしまうこともあり、人付き合いはとても難しいものに陥ることがしばしばあります。コミュニケーションそのものの方法論を知らなければ、楽しい関わりを継続出来ないことにもなるものです。自分を貫こうとすると、人と衝突し、人を大事にしようとすると自分を消し去らなければならなくなり、結果、「こう生きる!」と信じ込ませて貫く方が楽と感じてしまい、動き出してしまうことがあります。

そうして事故や邪魔が入ることで、願い通りに進まず、挫折と共に自分を振り返ることになります。この時、全ての自分を捨てることに至っても、構わない決断を持てると良いのです。人は、耐え難い苦痛を受け入れるしか無いところまで追い詰められると、その辛さから逃れたい為に、誰でもいいので「助けて欲しい」とすがることがあります。この時、無防備になり、心を守らず回避せず流れに従い命じられるままに動くことが出来るなら、幸運はもたらされるようになるものです。

人は人に親切だと信じる人には、初見で不信に見えたとしても親切にしてくれる人と出会えるものです。そのあらゆる苦痛の中に陥ると、人は全ての知恵知識や概念を捨てでも、やり直せる道を求めた時、導きの存在に出会え生き直すことが出来るのです。その時に出会う存在が心の中のもう一つの私である仏(大いなるわたし)なのです。

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金剛薩埵菩薩は、目の前に訪れたことを淡々と受け入れて、改善の道を模索するものです。あらゆる苦痛を受け入れる気持ちを持つ者に、見つけ出せない課題の解答はなくなります。「あれは嫌」「これも嫌」と、否定する心で世界を見つめてしまうと、その誤解する眼差しにより、真実に気づくことが出来ないものです。嫌なことに感じることさえ、率先して受け入れることで「解釈の違い」を発見することも出来、学んでいけるのです。

繋がり方
金剛薩埵菩薩自分を入れ替えるイメージを持ちます。大衆に囲まれているシチュエーションを思い浮かべます。大衆の中で、金剛薩埵菩薩(自分)から、自分(金剛薩埵菩薩)に質疑応答し、大衆の批評に耳を傾けます。

参考事例を紹介します。

金剛薩埵菩薩(自分)「ゲームを止めよう」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「出来るわけない」

金剛薩埵菩薩(自分)「ゲームを止めよう」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「死んでも無理」

金剛薩埵菩薩(自分)「ゲームを止めよう」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「一昨日来やがれ」

金剛薩埵菩薩(自分)「ゲームを止めよう」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「あほか」

金剛薩埵菩薩(自分)「ゲームを止めよう」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「死ね」

金剛薩埵菩薩(自分)「ゲームを止めよう」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「失せろ! ハゲ!!」

金剛薩埵菩薩(自分)「ゲームを止めよう」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「他に楽しいことなどない」

金剛薩埵菩薩(自分)「ゲームを止めよう」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「寂しい気持ちをどうにかしてくれ」

金剛薩埵菩薩(自分)「何があったの?」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「否定ばかりされて来た」

金剛薩埵菩薩(自分)「何があったの?」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「みんなに合わせて来た」

金剛薩埵菩薩(自分)「何があったの?」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「楽しいことばかりして来た」

金剛薩埵菩薩(自分)「何があったの?」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「嘘で本音と建て前を使い分けた」

金剛薩埵菩薩(自分)「何があったの?」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「本音を言えずに来た」

金剛薩埵菩薩(自分)「何があったの?」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「生き方がわからない」

金剛薩埵菩薩(自分)「何があったの?」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「怖いしかない」

金剛薩埵菩薩(自分)「何があったの?」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「“教えて”と聞けなかった」

金剛薩埵菩薩(自分)「何があったの?」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「“もっと詳しく教えて”と踏み込んで聞けなかった」

金剛薩埵菩薩(自分)「何があったの?」
自分(金剛薩埵菩薩)+大衆「“知りたい”気持ちがあることが解らなかった」

自分「知りたいです」
金剛薩埵菩薩(微笑んでいる)

といったやり取りが浮かぶかも知れません。

仏とのやり取りは、様々なチャンネルが存在すると思ってください。それで○○院などの領域が示されており、その範囲の中に問題点が隠れていることを教えてくれるものです。曼荼羅はそういう座標を教えてくれるものです。

使い方次第で、より深く理解することも可能かと思います。

自分の解釈の外側にある知識や概念を見つけ出すには、こうした胎蔵界曼荼羅や金剛界曼荼羅の解説はあるに越したことはないものです。それでも教わるより、自らが先生となり自身に教えるように探り出せば、様々なことを自発的に身につけられる環境を手にすることが出来ます。

全てを気づきや生きることに捧げたとき、金剛薩埵菩薩は我が身となり、様々なことに繋げる意識そのものとなります。

いかがでしたでしょうか?

色々なことが解ると、どうにかそれを共有したくて文章にするものの、小難しさが付きまとい、読まれにくいものを書いていたりします。

金剛界の智慧の根源に還る道筋を伝えようとする為、簡単であるはずがないものです。金剛界と意識が繋がっての記事は、慣れ親しまなければとてもスラスラ読めるものではないです。解りやすさの理解力の程度を下げる必要性は重要なポイントですが、まずは立体曼荼羅はこんなイメージのものを届けたいのです。

自身が釈迦であるかは、世界が望む流れが来たら「そうだ」となるでしょうし、ならなければ、それまでのこととなるものです。

信じることから始める人と、信じないところから始める人は、そもそも住む世界が金剛界+胎蔵界か、胎蔵界のみかに寄ります。胎蔵界の引きこもりの概念に囚われている人は身を守る為に「否定」は欠かせません。

意識出来ない無意識レベルの「信頼」と「不信」は制御不能のものです。転生の道筋で培った集大成が示される時が来ます。

では、また。

リーディングマスター・まさみち。


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