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書評:『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』(田崎健太著、 カンゼン、2024)

”サッカーが根付いた国を旅していると、フリューゲルス消滅の時に感じた疑問が記憶の澱の中から浮かび上がってきた。クラブ消滅の被害者は誰だったのだろう、と。これはクラブとは誰のものなのか、という問いにつながる。”(p.5)

著者はこの問いに答えるため、日本国内のみならず、ブラジルまで足を運んだ。私は小説でない限り、本をまえがきとあとがきから先に読むので、あとがきに載せられた答えを見たとき、なんだそんなことか、と一瞬だけ思ってしまった。しかし改めて読み進めた上で改めてあとがきを読むと、そこに到達した著者に、共感できた。

著者はプロサッカーやスポーツ興行に造詣が深いものの、選手の美談としてのみ仕立てらてるフリューゲルスの消滅という事象に、当時はあまり深い関心がなかったという。しかし本書では、戦前にまで遡るフリューゲルスをたどりつつ、今とは比べ物にならないくらい日陰の存在だったサッカーに、様々な形で関わってきた人々の話が紐解かれていく。その中で、様々な立場でフリューゲルスに関わる人々がいて、単に、選手可哀そう、ということだけでは表せないというのが、実際のところであろうことが理解できた。

本書はタイトルどおり、フリューゲルスの起源から消滅までを時系列順で追っていくものだが、それぞれのストーリーで個人的に興味深かったのは、フリューゲルスのサッカーにも在日朝鮮人が深くかかわっていたことである。様々に差別がなされる日本社会において、比較的実力でのし上がることができるスポーツは、活躍できる場面が多いということか。また正力松太郎もサッカーに目をつけて読売クラブを創設したことが書かれており、戦前の大物の目の付け所にも驚かされた。また、昭和の終わり、バブルの真っ只中で生まれた、Jリーグ世代である私にとって、次から次に出てくるJリーグ創設期から2000年ぐらいにかけての名プレーヤーたちの名前に、心が躍らされずにはいられなかった。当時インターネットはなく、また、サッカーが盛んでない地域の出身だったため、情報源はJリーグカードしかなかった私にとって、○○とXXが高校で先輩・後輩だった、などという記載を見つけるにつけ、ニヤニヤしてしまった。逆にいえばあの頃、サッカーのすそ野は限られたものだったからこそ、特定の高校や大学に有望選手が集まるという構造だったのかもしれない。

この本を基にフリューゲルスの消滅という事象を改めて考えると、俯瞰的には、Jリーグ創世記の盛衰は、日本経済の浮き沈みをそのまま反映していたといえる。しかし、作中フリューゲルス以外のチームも同じ頃次々と経営難に陥っていることに鑑みるに、あの頃「スポーツ興行」ということについて、本当に理解していた人は日本にはいなかったのだろうとも思う。せいぜい、親会社の広告としての機能ぐらいにしか考えられておらず、その価値自体を挙げる取り組みは、決して真剣にはなされていなかったのだろう。

そのような状況が、源流は戦前にまでさかのぼることができる息の長いチームの息の根を途絶えさせてしまったのだ。


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