内部表現のモデルから見る人間関係とは
自らが生まれながらに孤独であると知ること。
それが、内部表現という言葉を理解する為の第一歩となります。
あなたは、生まれながらに孤独です。
誰も、あなたの世界を共有してはくれません。
誰も、あなたと同じ視点を持ってはくれません。
その状態は、これからずっと続きます。
これは何も、罵倒や皮肉を言っている訳ではありません。
事実として、そうなのです。
1)内部表現の書き換え
内部表現とは、自我と宇宙です。
もっと分かりやすく言えば、脳と心が認識している情報(物理も含めて)全てを、内部表現と呼びます。
この認識している情報全て、というのがミソです。
内部表現というモデルから判断すると、あなたの家族や友人、恋人は、あくまで認識された情報でしかありません。
あなたの大切な人物は、あくまで幻です。
ただリアリティーがあるから、存在しているのだと認識しているだけです。
私は別の記事で、何度も現実は存在しない。
在るのはリアリティーのみ、だと言い続けてきました。
でも、この事実を受け入れることは酷く難しいことです。
言葉では分かったつもりでも、つい意味を曲解しています。
「この世界はリアリティーしかない。はいはい、分かってるよ。でも、人間は生きてるから、存在してるよね?」
と、このような受け取り方は、決定的に間違えているのです。
あなたも含めて、人間は全て幻です。
一つの例外も存在しません。
内部表現とは、全て情報で構成されています。
そして、情報だから書き換えることができるのです。
故にこそ、「内部表現の書き換え」です。
2)信頼とは
あなたの内部表現は、あなただけのものです。
誰も、あなたが認識している世界を知ることはできません。
だから、「誰も自分のことを理解してくれない」とか「どうして分かってくれないの」という嘆きは、そもそも無意味なのです。
内部表現という原理上、理解されないのが当たり前だからです。
理解されたい。
という願望は、はっきり言って無意味です。
そのような願望で作った人間関係など、砂上の城でしかありません。
それでも、全てを理解することは無理でも、一部を理解する(される)ことはできます。
それは、ゴールと共有された情報です。
ゴールとは、場なのです。
レイヤーとも言い換えることができます。
ゴールが違うということは、即ち生きている世界が違うということです。
ゴールを共有するということは、生きる場を共有するということです。
ゴールを共有しているからこそ、お互いを深いところまで理解することができます。
どちらもゴールの為に、最善の行動を取っているからです。
凡人は、いちいち信頼することに根拠を求めます。
しかしゴールを共有した仲間に「なぜ?」は要らないのです。
どういう計算で、その行動を選んだのかは分からない。
しかし、そのゴールの為に最善の行動を取っていることは分かる。
なら、それだけで良いのだと。
言葉が要らない信頼とは、こういうことを言うのではないでしょうか。
3)人間関係のゴール
ゴールに生きる人間は、理解されることを求めません。
どうせ理解されないと分かっているからです。
それは、その人が別に異端な訳ではなく、ただ知っているだけです。
人間は原理的に、理解とは程遠い生き物であることを。
だから、彼らは最初から理解を求めている訳ではありません。
それでも、彼らが意見を発信し続けてるのは、自分とゴールを共有する人物が現れることを、密かに期待しているからです。
自分一人では、手が足りないから。
理解されないことを理解して、その上で発信しているのです。
そうして、ようやく信頼を預け合う仲間が現れます。
仲間を作ることが目的な訳ではありません。
ゴールを達成する為に仲間を作るのです。
だから、ゴール設定において、人間関係のゴールは必須です。
友人も、恋人も、家族にも、ゴールが必要です。
ゴールを持つことで、そのゴールに相応しい人間が現れます。
恋人も、ただひたすらにsexしたいというゴールであれば、そのゴールに相応しい人間が現れます。
逆に、お互いを大切にする理想的なカップルになりたい、というゴールであれば、そのゴールに相応しい人間が現れます。
大切なのは人間ではなく、人間とどんな関係を築きたいのか。
だから、人間関係のゴールなのです。
4)最後に
理解とは、ゴールを達成する為の道具でしかありません。
だから、お互いに理解し合う関係というゴールは、意味がないです。
なぜ理解したい(されたい)のか。
何の為に理解を求めるのか。
極論、理解など求めなくて良いのです。
ゴールに生きることができれば、正直それだけで良いのです。
でも、そうやって生きていると、何物にも代え難い関係が築かれるのだから、不思議なものです。
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