見出し画像

現代版「参勤交代」はうまくいくか

政府が掲げる地方創生施策の中で、テーマとなっているものの一つは、東京一極集中の是正だ。

ただ人口動態というものを、政策で変えていくという試みは歴史を見てもなかなかうまくいっていない。

例外があるとすれば江戸時代かもしれない。

猫も杓子も東京に。

東京に行けば何かできるかもしれない。

行けば何とかなるさ。

といった空気感が、当時の江戸にはあったようだ。

司馬遼太郎氏の書いた「歴史との邂逅3」を読むと、当時の熱気が伝わってくる。


伊勢丹や松坂屋など、名だたるデパートの名前の起こりも、実は江戸時代に遡る。当時、各地方から江戸めがけてやってきた庶民の中で、伊勢出身の人達が非常に多く、商売でも成功した人が多かったそうだ。今でいえば、さしずめ地方出身の若者達が起業して、成功しているといったような図だろう。

そして、こうした活気を支えていたのは、いうまでもない参勤交代の制度があったから。黙っていても江戸には地方から集められたお客さんである諸国大名がいて、市場が形成されていたからに他ならない。

では仮に現代版の参勤交代をやったらどうなるだろうか?

つまり江戸時代とは逆に、東京から地方への人の移動を、政策的に誘導する。そのための飴と鞭を用意する。

飴は減税で、鞭は課税というシンプルなもの。

例えば企業が地方に法人機能を移転させようとする際には、今でも税制優遇を一定程度受けることができるし、自治体によってはここを強化している所もあるが、これをさらに大胆に下げてみる。鞭は、東京に所在する企業の法人税や地方税の課税強化を行う。

あくあで思考実験であり、こんなことをやったら東京都の猛反発を食らいそうだが、実際、東京に拠点を置く事の不動産的リスクは今でもそれなりに高い。税金もそうだが、土地代や賃借料も高いし、大規模災害やコロナ等感染症のリスクもある。

なので、コスト面だけを切って考えれば、今すぐにでも地方に行った方がお得なのかもしれないが、それでも移動に踏み切ることができないのは、江戸期に見られたような、「東京に行けば何とかなるさ〜」という空気感が未だ東京には存在しているからなのかもしれない。

その空気感によって、今も多様な人が集まり、情報やアイディアが生み出されていく、そこにこそ価値があるのだろうけれど。この空気感や価値は一足飛びには生まれない。

なので、仮に現代版”参勤交代”をやったとしても、この”空気感”とセットでなければ決して上手くいくことはないのだろう。

逆にいえば、アメリカシリコンバレーのように、うまく”空気感”を作ることができれば、どの地方にも可能性はあるのかもしれない。




宜しければサポートをお願いします。頂いたサポートを元に、今後もお役に立てるような情報を発信していけたらと思います。