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下がりきらない熱

 いつも通りに彼からの連絡が日に数度入るようにはなったものの、体調はなかなか回復しないらしい。
鼻からの酸素チューブは外れたけれど、先々週まで酷く腫れ上がった薬疹の名残りで、顔全体が白く粉をふいたようになっている。
彼は痒い、痒いと言いながら、ボリボリとかいている。

彼が努めて明るく振舞おうとしているのが画面越しに伝わってくる。それが余計に痛々しさを増している。
4人部屋からカーテンをひいて、横になりながら、私にかけてくるビデオコールの画面の中で、彼は時々、変顔をしたり、2人にしか分からないジョークをジェスチャーでしたりしている。
私もそれに応えて、なるべく笑顔や笑い声を出そうとするも、あまり大声で笑うのも違う気がして、口元にぐうの手を作りながら、目だけを笑ってみえるように、したりしている。

この前の高熱の原因は、コロナでもインフルエンザでもない、と言うのは早い段階で分かっていたけれども、では、何だったのか。どうも、胸、鎖骨下から血管確保のためにとっているカテーテルの所から、体内に細菌が入って、全身に回ったのではないか、とのこと。
なるほど、そういうことだったのか。原因が分かって、ホッとした。けれども、今度は、その体に回った細菌を全滅させるために、しばらく点滴が必要になる、とか。退院がまた先に延びてしまった。

この前の時は、いきなり高熱になり、輸血をした、と彼が教えてくれた。それもなかなか下がらず2回もした、と。
鎖骨下のカテーテルのみならず、全身で3箇所から同時進行で、輸血やら、点滴やら、したと言う。
そういえば、ベッドからかろうじて、息も絶え絶えにやっと連絡が入った時、力のないかすれた声で、「先生も看護師さんもよくやってくれている。」と、うわ言みたいに言ってたっけ。
それでも、その時の慌てた様子を想像すると、ぞっとした。
きっと不安だっただろうな。

彼から連絡が無いと、私はいろいろな事を想像する。
彼は、友達(知り合い?)がとても多く、また自営ということもあって、病気になる前から様々な人と常に連絡をとっていた。
それは男女の区別なく、また国内のみならず、海外からの知り合いも含まれる。

彼は英語が得意ではないので、海外に行く時には、現地の通訳をつけるのだけれど、それは女性ばかりで、しかも、正規のルート(通訳の会社)を使わない、現地で日本語を話せる人、に頼んだりしている。
なので、いつでも使えるように、そういう人とも、何かの折に触れ、連絡をとったりしているのだ。元気な頃は、海外に仕事で行くと、1週間から10日間は帰らない。その間、WiFiの関係で、こまめな連絡はない。せいぜいスタンプが1日に1度来るくらいだ。

そういうと、現地での愛人でも居るのではないか、と疑われることもあるけれど、現実は、太った中年のオバサンばかりだし、しかも、向こうは1人でやって来ずに、友達を連れてご飯をたかりに来る様な有様らしい。
1度はすごい剣幕で帰国して、新しい通訳を探さないといかん、と怒っていた。

けれども、1度、彼の携帯にビデオコールの着信があった時、その画面を見てしまったことがある。そこには、バッチリメイクをし、鼻から下を片手でマスクの様に隠して、いわゆる、飲み屋のお姉さんのような女性の顔が映し出されていた。しかも、彼女の名前が英語で表示されている、その末尾には、ピンクのハートがついていた。
その時は、まさか、そういう女性を通訳で使っているとは想像もしていなかったので、
私はかなりのショックを受けて、彼と大喧嘩になった経緯がある。

実際には、Facebookで彼女の方からメッセージが送られてきて、日本語を話せるということだったので、新しい通訳として使えるかどうか、考えている女性だったらしい。
Facebookでメッセージが送られてきて、知り合いになる、というのは、私からすれば完全にロマンス詐欺のやり口で、それを真剣に通訳として使おうと考えている彼の警戒心のなさに、心底驚いたし、その安く済まそうとする仕事のやり方に、かなり呆れたし、腹立たしく思い、憤慨もした。

聞けば、私がそれを見つけるまでの2.3ヶ月の間、週に2.3回の割合で、ビデオコールが彼女からかかって来ていたという。
なんとそれは彼の癌が再発して、初めの入院の辺りである。私が死ぬほど彼を心配して、泣き暮らしていた頃に、彼はその女性と、週に何度もビデオコールをしていたことになる。

何も怪しいことが無いのであれば、私の前で話して欲しいと頼んでみたが、彼はそれはしたくない、と怒り出す。
何も自分の女にしようなんて思っていたわけじゃない、やり取りしていても、好きだとか、いわゆる男女の話などはしていない。
あくまで仕事のためだ、と彼は言い、仕事のことに口出しをされるなら自分も考える、とまで言われた。
そこまで言われたら、私も言い返すことが出来ずに、しばらく様子をみていたが、午前中とか、深夜とか、時間も構わず、ビデオコールの呼び出し音が頻繁に鳴るので、さすがに私も不機嫌になった。ムッとして、口をきかない、ということも何度もあった。
1度は、彼の家から、飛び出して自分の家に帰ったこともある。
そういうことが繰り返しあったある日、彼の方から、「もう彼女とは連絡を取らないようにするよ、それで君も安心だろう。」と、言ってくれた。
内心、遅いよ!グズ!と、心の中で絶叫してみたけれど、「それが本当の解決になるとは思えないけれど、でも、そうするならブロックしてね。」とだけ伝えた。
それから、本当に彼女とは切れたのか、2人の間でどういうやり取りがあったのかは知らないけれども、そういう電話はかかってきていないと思う。

実は、私は今もその時の心の傷は癒えてはいない。彼の携帯の着信がある度に、心臓がギュッとなり、血圧が上がるのが分かる。
具合が悪くなるから着信音を変えて欲しい、と彼に頼むと、彼は私に気を使ってか、直ぐに、どれがいい?と、その場で変えてくれた。
それと、それからは、私の前で電話が鳴ると、誰からの電話なのか、さりげなく教えてくれるようにもなった。

それでも、それでもである。彼を何も疑わずに信頼仕切っていたその頃の無邪気な私に戻ることは、もう二度とないと思う。一生無理だと思う。
こんな、彼が生きるか死ぬかの時になっても、彼からの連絡がないと、きっとまた誰かと連絡をとっているんだろう、と考えて、暗い気持ちになってしまうのだ。深いため息が出てくる。

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