僕と算盤と未来
※こちらも書き直しました。
復古の春
あれから数年。社会人になって勤め始めると、時間がえげつないほど速い。
時間を無駄に浪費しているような気がしてきて、勉強して、資格というかたちのあるものを取って、多少でも実りのある人生にしたい。
勉強するにあたって、何を一番に受けよう?
悩んでいたのが漢字検定と、このそろばん。最初に漢字検定を選んだのは、入社する前の寸暇を使って玉砕した敗北がずっと燻り続けていたからだった。
とはいえ、珠算2級を取ってハッピーエンドに塾を辞めれなかった心残りは数年経ていてもずっと傍らにあった。道具は通っていた当時のまま、押し入れに封印していた。
試験を再び受けるには指が動くかどうか。
意を決して久々に押し入れから封印を解き放つと、当時の教室の空気まで封印していたようで、あの時が甦ってきたような感覚だった。
そろばんを触るのも、問題を解くのも数年ぶり。
驚いた。
これほど時が経っているのに、案外できたことに。驚きつつも喜んでいる自分がそこにいたことにも。
そう確信してから受検までは早かった、善は急げである。
5度目の勝負
珠算の試験は、簿記と同じく年に数回、近くの商工会議所で誰でも受けることができる。
とはいえ、そろばんは早い子たちは年長さんあたりから始めて、6年生になると段位まで、そうでなくても上級まで到達して辞めていくのが王道パターン。
出会った時点でかなり遅れていたので事実、僕は遅咲きの好例として先生に取り上げられていたくらいだ。
そこに5番目の勝負を仕掛ける20代半ばの青年がひとり。小さい子らが多いから浮くだろうな~と思いながらも、仕事から帰って毎回2~3回分は練習して見直しもしていた。
「なりたかった自分になるのに、遅すぎるということはない」
という言葉を心に刻んで。
どこかで耳にした言葉....
調べてみたらイギリス、ヴィクトリア朝時代の作家ジョージ・エリオットの名言らしい。
時代も何もかも違うものの、この年で今更…と気後れしていた自分に沁みた。
試験当日、会場の商工会議所は予想通り、数多の小学生で溢れていた。
「用意、はじめ!」
試験官の先生の声で、ガヤガヤしていた会場は一瞬にして止み、代わりに珠を弾く音と鉛筆を走らせる音が会場を占領した。ペラペラの答案用紙兼解答用紙とガタガタの机。環境を言い訳にしてはどうしようもないけれど、雰囲気に呑まれてしまったせいで散々....小心者なのを忘れていた。
雰囲気に呑まれただけではなく、僅差の壁にも阻まれることとなった。実際、何がいけなかったのかわからなかったが、これで折れてしまっては悔いが残るだけ。
自分の受検番号がない結果発表を見て、再挑戦を即座に決めて動き出した。
3度目の正直2回目
そろばんは今まで速度重視でガツガツ練習していた。速度勝負だから当然と言えば当然かもしれない。だが、これで落ちたのなら壊すしかない。
そう思い、小数点の位置取り、補数計算、基本から問題に対してその指の動かし方が正しいのか、基本中の基本に立ち返ることにした。教えてくださった先生には申し訳ないけれど、教わったことを一度全て壊して自分で組み立ててみることにした。
幸い、サイトがすぐ見つかったので頭にすっかりこびりついていた「当たり前」が剥がれ落ちていくのは早かった。
結果から言えば、先生から教わったことは間違っておらず、自分がいつの間にか変な珠取りをしていただけだったのだが、立ち返れたことでこの間違いに見えてきた。
誤解というのは注意深く見つめ直さないと誤解だと自覚すらできない厄介なものだ。
一度壊してみると、そんな些細なミスも気づいてきたし、スピード面も自信がつけば後からついてきた。なかなか今の生活でも活かすことはできてないけれど、自信を持たせることの大切さを学んだかもしれない。
そして6回目の挑戦。商工会議所は大体自治体ごとにあるから、試験会場もこの際変えることにした。これほど万全で、これほどまでにない手ごたえを感じた試験後は爽快なもの、懐かしい感覚がそこにはあった。
とはいえ試験前、試験官の先生が「挨拶は大切なんだよ~」という小学生に向けたありがたいお話を傾聴する小学生数人の中に、ぽつんと20代半ばの青年が1人。やはり場違い感甚だしいカオスな会場に変わりはなかったけれど。
解放の瞬間
翌週の結果発表は自宅のパソコンを前にして吠えた。待ちわびた勝利の瞬間。
心残りという鎖から解放された瞬間だった。
桁が多い準1級の問題も時折こなしながらスピードアップをしていたから、いっそのこと更に上を目指そうとも思ったけれど、2級でもギリギリなスピードだったので制限時間内に間に合う筈もなく、なにより出来も悪いときている。
何よりあの頃に感じた心の炎が鎮火しているのを感じていた。
リミットを設けると、人は普段以上のパフォーマンスを発揮できる。今まで無意識にやっているかもしれないが、それを体感できた。
そうして、僕は算盤を置くことにした。道具を再び押し入れに封印した。再び自分でその封印を解くことはまずないだろう。今度こそ。
今、そろばんを携えてはいないが、これからは違うベクトルで心を燃やせるなにかを見つけていこうと思っている。
なりたかった自分になるのに、遅すぎるということはない。と心に刻んで。
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