西瓜は嫌いだ、なんて言えなかった。
湿気が体にまとわりつく。
雨が降ったり止んだりと落ち着かない朝だった。
台湾の夏が、こんなにも茹だるような暑さだなんて知らなかったんだ。
わたしは身支度をしてサンダルに足に引っ掛けた。
玄関のドアノブに手をかけて、
ベランダからまた雨が降る音が聞こえた。
今日はこんな日だ。
この国で、学校以外にまだ友達がいないわたしは、勉強以外にすることがない。
勉強以外にすることがないなんて、学生らしくていいかもしれないけれど、
なんというか、現在、社会人お休み中の身としては、
もうすこし、こう、青春っぽいこともしてみたい。伝わるだろうか。
しかしこの真昼間の夏空が、外出意欲を簡単に打ち消すほど厳しい。
人を誘う意欲もなければ共に居る資格なんてないんじゃないかと、わたしの内面はちょうどよく冷えているのに。
ぐわんと雷が鳴り響いた。
まるで振り下ろすかのように、重く重く下界へ予兆を知らせる。
ああ、もうすぐまた雨が降るのね。
わたしはベランダへ出て雲の色を確認した。
ブワッと風がさか巻いて、きびすを返すようにザンッと大粒の雨が降ってきた。
せっかく乾いた道路の、薄い灰色を湿らしていく。
向こう側はまだ明るいのにちぐはぐしている。
鉄筋コンクリートの住宅街は強い雨や風が入らないよう、
トタンのような庇(ひさし)が付いていて、
雨が降るたびにダダンダダンと打ちつける音は、雨の強さをさらに強調しているようだった。
柔らかい雨の日もこの音で豪雨かと間違える。
振り返ると窓辺の席が特等席のおばあちゃんは、カーテンの向こう側でぼんやりテレビを眺めていて、時折わたしの方をちらちらと見る。
「下雨了」雨が降ってきたね。
それからお昼寝でもしたら?とわたしを促す。
勉強以外なにもすることがないから、わたしは外の世界を惜しみながら部屋へ戻った。
部屋の窓から陽が差した。
日の照りながら降る雨がとても好きで、わたしはカメラを持ってベランダへ出た。
おばあちゃんのもう一つの特等席がそこにはある。
天気の良い午前中は、だいたいそこで本を読んでいた。
いま本は持っていないけど、遠く遠く外を眺めていた。
そばに立つわたしにおばあちゃんはやさしくつぶやく。
「雨停了、你吃西瓜嗎?」
雨止んだよ。スイカ食べる?
青い空が爽快で、日の照る太陽がきらめいて眩しくて、小さな虹を見つけて物静かに興奮していたわたしは思わず頷いた。
しまった。
スイカは嫌いなんだって、言えなかった。
冷蔵庫から出してくれたお茶碗ごと冷やしたスイカはピンピンと冷えていて、
この赤には『この色じゃないとダメなんだ』とこだわり抜いたかのようなあの青い空によく映えた。
午前中に剥いて冷やしたのよと言ってくれた。
何年振りだろうか。夏にスイカを食べるのはと、
美味しく感じなかったらどうしようかと内心焦った。
果物は嫌いでないにしろ食べたいと欲する機会は多くなかったし、日本にいた時はわざわざ買いたいとも望まなかった。
しかしここでは、果物は『水果』と書く。
同じ果物なのに、わたしはわざわざマーケットへ買いに出掛ける。
安くて豊富でとてもおいしい。
けれどスイカは、どうだろう。
そうだ、あの瓜独特の青々しい味気が好みじゃなかったんだっけ。
ありきたりだが瑞々しいさっぱりとした甘さが口の中でしゃくりと砕ける。
うん、悪く、ないなぁ。
【夏はスイカ】だなんて誰が決めたんだろうといつも思っていた。
器から伝わる冷たさが指の隙間をぬって水滴に変わっていく。
おばあちゃんはベランダの特等席をわたしに譲って、
カーテンの向こう側もうひとつの特等席へ戻る。
もう少ししたら、陽が沈んで涼しくなるから、
夜市でも散歩してきなさいと言う。
うん、と頷き西瓜のタネをつつきながら、
それはそうと
久しぶりに食したスイカの感想は元より、
わたしのために食べやすいように切って、
冷やして用意してくれたことが
なによりも幸せだったんだ。