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建築史と音楽
最近感じているのが、建築と音楽って実は進化の仕方が似ているんじゃないかと思っている。
どちらも、芸術ともプロダクトともいえない曖昧なもので、分野の中でもジャンルが多岐に分かれているという共通点はあると思う。
建築だと、特に西洋の建築が様式があり、分かりやすく転換してきているので、かなり研究されていて、これは音楽も同じではないだろうか。クラッシック音楽、あまり詳しくないけれど、〇〇派とかあるようなイメージ。
西洋は流行が変わるとその前のものに対しては否定的になり、価値観がガラッと変わる、というのを繰り返す。時代と様式が1対1で対応する。
一方で、東洋は民族の性格上なのか、様式を持っていたとしても、古い様式を捨てることなく、折衷しながら新たなものができていく。時代が進むにつれてどんどん様式が混在していく。
そういった特徴から、変遷や時代の特徴を掴むのは西洋の方が分かりやすい。分かりやすいから、そこから建築がたどる流れというのが推測できる。というのが建築史家が西洋をよく言及する理由らしい。
基本的には、建築も音楽も、さらにはそれ以外も、何かの様式が限界を迎えて、新たなものができて、全盛期を迎えて、限界が来て、ということの繰り返しだ。
西洋の建築様式の中で、中世に、ゴシックという様式がある。ゴシックの根幹は、「高ければ高いほど良い」という考えで、建物(当時、建築といえば大半は宗教建築、つまり教会)の高さがゴシックの時代の技術と豪華さの象徴だった。フライングバットレスという、梁を空中に飛ばす構造なども考えられ、機械のない時代にたくさんの高い教会が建てられていく。そしてその高さが物理的に限界に達した時、高さを価値観にしない様式が登場する。そこで生まれたのがルネサンスだ。
ルネサンスは、古代のギリシャ、ローマ様式の再生、復興がメインのテーマだ。私は、これは初めて「真似を、理論を持って堂々とやる」と言う価値観が生まれた文化だと思っている。建築に限らず、何かの創造で全く新しいものなんて作れるものではないので、何かを真似て、自分の工夫を付け足しながら作る、というのは今も昔も当たり前に行われている方法だと思う。ただし、ルネサンス以前は、それを「真似ではなくこれはれっきとしたオリジナルです」というテンションで、真似であることをどうにか隠しながら行っていたのを、ルネサンスでは、真似の元を分析し、真似であることを明確に示し、真似が手段であると同時に目的になった。(と思う。)
これに似てるのが、音楽のサンプリング文化だ。サンプリングという手法が確立する前までは、メロディの真似はマイナスで、パクったとみなされれば著作権で訴訟にすら発展する事象だったから、メロディを真似てると気付かれないように真似てアレンジを加えるというのが基本だったと思う。
サンプリングは、音楽を作る手段でもあるが、ルネサンスと同じく、「この曲の思想を支持しているからサンプリングする」というように、サンプリング元の分析をし、わかりやすく使うことで真似であることを明確に示している。その曲をサンプリングしている、ということ自体も曲の目的にしている。
建築に戻り、建築はルネサンスの後どうなったかというと、マニエリスム、バロック、ロココ、、といくつかの様式を辿った後、ネオクラッシックという様式が登場する。ネオクラッシックは新古典主義だ。もう一度ルネサンスのようなことが始まる。そして、その後ネオ◯◯という、過去の様式の復興がたくさん生まれ、様式の乱立を招く。産業革命の時代なので、新しい技術がどんどん生まれる一方で、様式はそれに追従できず、過去の反復ばかり繰り返す。そうやって限界を迎えた建築から出てきたのがモダニズム(の原型)だ。
モダニズムは、これまでの様式の考え方を排除し、様式レス、ジャンルレス、地域レスで、一気に世界で支持され広まった。そのシンプルさと強さに世界が惹かれて、世界の主要都市はほぼ全てモダニズムの建築で埋まっていった。そんな強烈な力を持っていたモダニズムも、世界全体で画一的な都市が作られて、個性がなくなり、つまらないと考えられるようになり、疲弊が起こった。その後は、ポストモダニズムと呼ばれるモダニズムから脱却するいろんな挑戦が起きているが、モダニズム以降にモダニズムに代わる強い様式はまだ出ていない。
音楽は今、建築でいうネオクラッシックの時代と同じ状態にいると思う。過去の様式の復活と乱立だ。80年代90年代のシティポップが再評価されたり、ロックやヒップホップやジャズなども、過去の流行した時代の手法の乱立とサンプリングで溢れている。今、そうやって過去の手法の再現とアレンジでできた音楽それぞれはすごく魅力的で価値があるものだと思うが、そうなっているこの状況自体は、今の音楽が限界を迎えている思う。
そしたら、音楽は次にどんな道を辿るのか考えると、もし建築の歴史と同じたどり方をするならば、ジャンルの概念がない音楽の台頭が起こるのではないか。ヒップホップ、ポップ、ロック、ジャズ、メタル、、など、さまざまなジャンル分けが意味を持たない音楽がメインストリームになるのではないか。と思っている。今は、ジャンルという概念から外れたアーティストの存在はあるにしろ、モダニズムのようにノージャンルというジャンル(?)が世界を覆う勢いのあるような時代ではない。でも、その存在が少しでも影響力を持ってきているなかで、今後そうなっていく可能性は大きいのではないかと思う。
そしてさらに建築と同じ道を辿るとすると、音楽も、ノージャンルの画一化に疲弊し、そこから脱却しようと苦戦する時代がくるのかもしれない。
今は世の中全体で疲弊が起きている。
誕生→普及→疲弊→誕生、、というサイクルの、疲弊のところにいる。それは建築や音楽に限らず、文化的なことに関わっている人はみな気づいていることだと思う。戦争やコロナで不安定なこの情勢は、生活や価値観が変わる強制的なきっかけになり、価値観のリセットのタイミングだ。これから新たな何かが生み出される時、自分はその生み出す側に居れるのか。絶対に居たいな。少なくとも、流れに取り残されて前の方が良かったと縋っている人間ではありたくないな。