日記『完全な静寂と1秒の静止』(20220419)
Adoの「永遠のあくる日」の二番の出だしで衝撃を受けた。「今時間を止めたね、1秒くらい」
こういう静寂を聞くとやっぱりジョン・ケージの4分33秒を思い出す。この曲を説明するには「無音」の二文字で十分なのだが、ケージの意図するところは無音ではない。むしろ、音楽的には静寂であったとしても、真の静寂など存在しないという点である。この曲を描き出すきっかけの出来事がなかなか素敵で好きなエピソードだ。ハーバード大学の無響室を訪れたケージは、無響室の中でさえふたつの音――高い音と低い音、それは自分自身の体の音――が聞こえることに衝撃を受けたという。
永遠のあくる日の場合は、紛れもない静寂を表現している。というのも、まさに時間が止まってしまっているわけである。そこまで流れていたリズムを一瞬の間完全に断ち切ってしまうことで、静寂という要素以上に、静止の意味合いが強く感じる。この体験は周りの音を十分にシャットアウトしてくれるヘッドホンなどでしか味わえないかもしれない。ライブでこの曲をやっても、時間が止まったという感覚にはならないような気がする。なぜなら、ケージの言う真の静寂が達成できていない。録音されたものは完全に音を止めることに成功しているが、観客がどれほど頑張って静寂を達成しようとしても、演奏の残響が会場に残ってしまう。「すべての何かは無のこだまである」とケージが言ったように、残響という要素は時間が流れている以上避けられない音楽の要素である。
ケージのエピソードは魅力的なものが多い。そしてそれらは、音楽そのものの定義などについて考えさせられる。
ケージに関する記述のほとんどは西洋音楽史大図鑑で知った。図書館で借りてきて明日返さないといけないんだけど。この本はかなり面白い。その曲が生まれた背景だけでなく、前史後史についても言及しているのがいい。買っちゃってもいいけど5000円近くするのが悩みどころ。
原著はBig Ideas Simply Explainedというシリーズの一つ。The Classical Musicはヤマハから出版されているけど、他のシリーズは三省堂から9冊出ている。これも全部欲しい。kindleでも売られているけど、大図鑑なんて名前を冠しているんだから本棚に鎮座おはしなすってほしい。
昨日はパスタ作りで大失敗したので今日はリベンジでまたパスタを作った。今日のは成功したけど、昨日のかってえパスタの記憶がちょいと思い起こされたのでしばらくはパスタはいいかな……