旅慣れるとは、観光客ではなく、旅人でいられるようになること。
にこらす
なんだか風が抜けていくような気持ちのいい打ち合わせが2本続いて、あ、やっぱ仙台好きだな、と思う。15年くらい前に初めて仙台にやってきた頃は、正直、そんなに好きな町ではなかった。その理由は小さな東京みたいだと思ったからだ。いや、過去形にしたけれど、ある意味でいまもそれは変わらないかもしれない。大阪にも福岡にも名古屋にも札幌にも同じく感じる地方都市の顔。誤解されると嫌なので書くけれど、東京が嫌いなんじゃない。東京は東京だからこそいいのであって、東京が東京以外にある必要はないぞ、と思っていた。
けれどそれは、僕がその街の表層を見ることしかできなかったからだ。旅慣れていくにつれ、よそ行きの顔を素通りする術を得た僕は、街にあるオリジナルな「個」のチカラを感じられるように年々変化していった。街というものは当たり前に変化していくものだから、結局はこちらがそこで何を見るかによって、風景は変わる。店であろうと、人であろうと、互いに向き合うベクトルを感じながらコミュニケーションが取れる機会が増えれば、その町のグラデーションはより深くなっていく。経済合理性を一番に置いた場所に身を置いて、観光客としてカウントされるのも、たまには良いものだけど、そこから距離を置くようにすれば、旅は断然楽しくなってくる。
旅慣れるというのは、どんな観光地であっても、観光客ではなく旅人のままいられるようになること。
二つ目の打ち合わせを夕方に終えて、知人が予約してくれたお店まで、30分ほどの距離を歩く。途中、ずんだ餅で有名な「村上屋餅店」があって、そういえば家族で来たなあと懐かしい気持ちで、ずんだならぬ、づんだ餅をテイクアウトした。餅は餅屋とはよく言ったもんだが、大福であれ、安倍川餅であれ、ずんだ餅であれ、お団子であれ、その美味しさの決め手は餅そのものだ。いまはもうないのだけれど、秋田市に大好きなかき氷屋さんがあって、僕はそこの白玉が好きで通っていた。その店の名前は「斎藤もちや」だった。
村上屋の入り口にかかった「づんだ餅」の暖簾をさらに凌駕する大きな大きな「餅」の文字にすべてが現れている。
日没の早い冬の仙台をてくてく歩きたどり着いたのは居酒屋「食・酒・笑 にこらす」。店主が秋田県横手市ご出身とのことで、酒は秋田推しながら、土鍋で炊いたはらこ飯や、高知で学んだという藁焼きなど、全てが美味い。
東北レインボーハウス
関西在住ながら、秋田に10年以上通い続けた僕が、こんな秋田推しなお店に辿り着くのにも10年かかったように、旅の出会いは、いつだって縁とタイミング。それこそ今日の打ち合わせの一つは、震災遺児の支援を続けておられる、東北レインボーハウス(あしなが育英会)の職員の方だったのだが、そこで聞いたお話も、いまだからこそ聞ける大切な話で、このタイミングで伺えたことに感謝したくなった。
そもそもレインボーハウスは阪神淡路大震災における震災遺児の心のケア拠点としてつくられたので、僕の地元神戸からスタートしている。僕はそんなことも知らずにいた。いまは、神戸のほか、東京と、東北は岩手の陸前高田、宮城の石巻と仙台の三か所にある。悲しい事実だが、震災遺児の数が多い町に建てられたそうだ。
レインボーハウスでは、祖父母や親戚などに引き取られ全国で暮らしている東日本大震災の震災遺児たち約950世帯に返信用の封筒を入れた手紙を定期的に送っている。そうやって、震災から12年経ついまの不安や課題についてヒアリングしたりフォローしたりしているそうだ。当時の子どもたちは、まわりの大人たちに「なんでも悩みがあれば言ってね」と言われ続けたけれど、実際はそうそう悲しみや苦しみを吐露できるものではなかった。当時のつらい出来事をずっと胸に抱えたまま大人になっていく人たちも多い。また、祖父母に引き取られた子たちは、孫が可哀想だと過保護気味に育てられたり、互いの優しさゆえに、はれものにさわるような気の遣い方をしてしまってきたことから、ひきこもりになってしまう子が多く、現在、特に18歳を超えた子たちのケアが急務だという。こども家庭庁の設立以降、18歳以上のケアも準備されているようだけれど、逆に言えば現在はまだ国として彼らをフォローする機能がなく、その空白期間を、レインボーハウス(あしなが育英会)のような民間団体がフォローしていることを知った。いまは、震災遺児だけではなく、さまざまな理由で親をなくした子どもたちの支援も続けている。
遺児の課題はどうしても貧困問題と直結することが多く、その結果、さまざまな経験機会が減少し、あらゆる意味で社会を知ることが難しいという。こんな人がいるんだ、こんな仕事があるんだ、こんな人生もあるんだ、と語ってもらうだけでもありがたいとのことで、僕もなにかワークショップなどできないだろうかと考える。それこそ直近の問題としては、震災10年という節目と、東京オリンピックの開催で、潮目が変化してしまったことから、企業さんからの支援が見事にストップし、子供たちが楽しみにしているクリスマスプレゼントのお菓子が圧倒的に足りないそうだ。
街も店も人も組織も、実際に見聞きすることに勝るものはないなと当たり前のことを痛感する。実はここ「にこらす」に連れてきてくれたのは、レインボーハウスで働くAさん。あらためて今日の感謝を伝えつつ、お酒をいただいていると、お店の方がチェイサーとして出してくれたお水のコップが、僕がプロデュースしたカップ酒のグラスで驚いた。まさに、グラスをかわいくデザインすることで、捨てられることなくリユースして貰いたいという思いでつくった商品だったので、とても嬉しかった。まさかの出合い。
僕たちの見ている世界はあまりに狭く、そこに映るのは常に表層でしかない。その視界の外や向こう側で、生き生きと豊かな世界が満ち満ちているのだと、旅は教えてくれる。
南三陸311メモリアル
翌朝、東京から来てくれた友人と仙台駅で待ち合わせ。贅沢にもプロデューサーの吉川由美さんの運転で、「南三陸311メモリアル」へ。先日、高橋優くんのラジオにもzoom出演してくれた吉川さんは、僕にとって、地域編集の大先輩で、佐藤健くんと神木隆之介くんと宮城をまわった書籍『みやぎから、』(NHK出版)における、南三陸取材においても、裏側でたくさん奔走してくださった大恩人。南三陸311メモリアルは、そんな吉川さんプロデュースの震災伝承館なので、とにかく早く行ってみたく、友人を誘ってやってきた。
南三陸311メモリアル顧問の高橋一清さんにガイドいただきながら、今も続く震災の痛みを涙堪えながら、ただただ受け止めた。前日のレインボーハウスに続き、震災から12年が経とうとするいまもなお、決してきえることのない悲しみを知る。
3面のビジョンに囲まれ、どちらにむいて座ってもいいという椅子が、一見、乱雑に並べられた部屋があり、そこで吉川さんがつくられた、防災を考えるプログラムを体験できる。あちらこちらを向いている椅子の様も含めて、すべてがよく考えられており、何よりその映像プログラムが秀逸だった。そこでもらった、答えのない大きな問いについて、今朝もまだ考えている。伝承っていうのは、きっとこういうことなのだと思う。
震災を遠くに感じている人にぜひとも行ってもらいたい。冒頭に飾られている、クリスチャン・ボルタンスキーの作品が内包している祈りのチカラも、友人の浅田政志くんが南三陸のみなさんを撮影した写真のチカラも見事で、吉川さんのしごとの素晴らしさに心底圧倒された。
こうめの夜
仙台まで戻ったその足でそのまま、ぼくが来仙の度に立ち寄るほど大好きな「こうめ」へ。いまや仙台の冬の風物詩としてメジャーな名物となった #仙台せり鍋 の仕掛け人であり生産者の三浦隆弘さんが鍋奉行をしてくれる贅沢せり鍋会。僕にとってはありがたくも今期二度目のせり鍋会を、尊敬する先輩と大切な友人とご一緒できる喜び。
仙台せり鍋の特徴は、なんといっても、せりがメインであることと、なかでも、せりの根っこがいちばんのメインであること。冬になって寒くなるほど根っこが美味しく育つので、セリ鍋が美味しいのはまだまだここから。なので、仙台せり鍋、未体験の方はぜひ食べに来て欲しい。
仙台せり鍋と三浦さんとの話については過去記事をぜひ↓
大国様と、きじ重
最高な夜を経た翌朝。神戸へと戻る前に、僕は一人、特急ひたちに乗って福島県のいわき市へ。いつものように仙台駅1Fにあるパンセで牡蠣カレーパンを買って乗車。それだけで幸福度が上がる。
車窓からの景色も美しく、気分があがる。実は、いわき駅に降りるのは初めて。目的は、いわき市立美術館で開催中の『民藝 MINGEI -美は暮らしのなかにある』を観るためだった。
美術館に行く前に、お昼を済ませようかとふらふら探索していたら、なんだか気になる看板が。矢印の方を見てみると、やけに当たりそうな宝くじ屋さんがある。
宝くじセンターのすぐ目の前に大国様がまつられた神社があり、せっかくなのでお参りをして、それで買わないわけはないだろうと、3000円分の宝くじを購入。
その後、Googleマップで気になった #きじ重 という、焼き鳥丼のような料理が有名な『ちゃぼ』で昼食を取ることに。きじ重とはいうものの、雉ではなく鶏。鳥刺しとのセット1480円。甘いたれで味付けされたやわらかな鳥肉が美味しい。
そろそろ美術館へ行かねばと、立ちあがろうとしたら「コーヒーお出しします」と言われて再び着席。やってきたコーヒーがなんてことないコーヒーでそれがまたよかった。ランチセットのコーヒーはこれくらいが丁度いい。
いわきと言えば思い出すのが、映画『フラガール』。途中、偶然フラガールのショーを観れたのは嬉しかった。ちなみにクレラップのクレハの生産拠点があるゆえの フララップ というお土産も良い感じ。
民藝 MINGEI
『ちゃぼ』から数分で到着した、いわき市立美術館。『民藝 MINGEI -美は暮らしのなかにある』は、実は大阪でも開催されていたのだけれど、謎に東北で観たい気持ちになって、敢えていわきで観ることに。受付でスーツケースを預け、チケットを購入。領収書を見たら、インボイス登録番号がなくて、こういう市がやっている公共の施設ですら登録番号の表記がないのだから、民間の対応ができていないことに対しても当然、寛容にしてくれるんだよね? という気持ちになる。インボイス、本当に悪法でしかないなと思う。
「現在の民藝とは?」そんな問いをくれるよい展示だった。ただ僕にとって民藝は、プロダクトそのものよりも、運動としての魅力が強いので、そういう意味では少し物足りなさも感じたけれど、各地を旅しては「これは最高の民藝だ」「いやこれは民藝とは言えないんじゃないか」などと議論しながら地方を旅していたであろう柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司の姿を想像して、なんだかずいぶん楽しそうだなあ〜と思うのと同時に、編集者である自分にとっての旅も、ある意味で同じようなことかもしれないなとも思った。
今回、個人的にもっとも面白かったのは、丹波布を使った大津絵の掛け軸だった。とにかくファンシーでこれはかなり刺激を受けた。僕は播州織の産地、兵庫県西脇市生まれで、子供の頃は、大量のタータン柄の布が押し入れにあったのを思い出す。久々にものづくり脳がむくむくしはじめて、倉敷民藝館初代館長の外村吉之介(とのむらきちのすけ)が残した、
『健康で、真面目で、無駄がなく、威張らない』
という言葉をしたためた。あらためて、そんなプロダクトをつくりたい。
帰りにミュージアムショップコーナーで、仙台木地製作所の佐藤康広くんのインディゴこけしと、倉敷、酒津榎窯(さかづえのきがま)の六角皿を購入。特急ひたちに乗って、仙台に戻る車内でそれらを眺めながら、僕はほんの少し歩いただけでもモーレツに感じていた、いわきの町のこの10年ほどの苦しみについて思った。この二日間の宮城での経験が僕をそうさせたのかもしれない。
ふと思い出したように、宝くじのスクラッチを削ってみる……!
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