『monooto: Object-Oriented Music in Japan』リリースにあたって
数年前からもの音(monooto)という音楽ジャンルが静かに話題に登り始めました。従来、「もの」が発する音をコラージュして曲にしたり、即興に使ったりする場合は、それぞれミュージックコンクレートや即興などというカテゴリーが与えられてきました。それ以外では、単にノイズと呼ばれたり、フィールドレコーディングやアンビエント、更にFound Soundsなどの呼び名も与えられてきました。一部例外はあるものの、これらの音楽の呼び名は、ほとんどが人間の行為にフォーカスをあてていると言え、それらは「もの」自体が反響したり音を鳴らしたりすることで作り出す不思議な世界感や、人間とそれ以外のものが豊かに交歓していくような関係性を明瞭に言語化しているとは言えません。
「もの音」と言った場合、それは人間がコントロールできない、人間とは独立して存在する「もの」によって作られた音、というニュアンスがあると言えるでしょう。そこでの主語は人間ではなく「もの」にあると解釈できるからです。もちろん、ある種の「もの」の動きを聞く枠組みを作ったり、人間と「もの」とのインタラクションの中で生まれる音を意識的に聴取していくという試みは、サウンドアートの歴史の中で、繰り返し実験されてきたことなのかもしれません。しかし、あえて今この時点において、monootoという音楽的区域を立ち上げ、そのコンテクストを意識化していくことは、現代のパースペクティブから、新たな音楽の可能性を切り開いたり、過去のさまざまな実践を再評価、再解釈したりすることを促すことに繋がります。このコンピレーションには、様々な表現を行いつつも、「もの音」を意識的に作品に取り込んでいる日本を拠点とするアーティストの楽曲が収録されており、日本におけるmonootoの実践を紹介するという目標を持っています。
個別の楽曲紹介にうつります。まず、enmossedなどから先鋭的な作品をリリースしているTetsuya Nakayamaは、日本の地方において年に数回しか使われない農具の音や作業小屋の床の音から、人口減少により衰退していく日本の地方の中でも生き生きと存在する「もの」を見事に描き出した作品を提供してくれました。
70年代から活動するサウンド・アーティスト多田正美は、70年代に「カタカタ音楽教場」という音感性教育プロジェクトを行っていました。当時、そのプロジェクトに参加していた子どもに教えてもらったという、通り抜けできない不思議なトンネルを今年再訪し、その中で竹を使った即興を行い、竹とトンネルと多田が作り上げる豊かな音の場を作り上げました。
文筆活動と共に、国内外の重要レーベルからコンセプチャルな作品をリリースしているShuta Hirakiの曲は、シュルティボックスに吹き込まれる風とそれを音響生成のためのデータとして使った、抽象的かつ美しい作品に仕上がっています。
ato.archivesから2024年10月に作品をリリースし、近年急速に再評価が進んでいる菅谷昌弘は、新潟にあるギャラリー砂丘館の床の音を録音した作品を提供してくれました。アーティスト自身が歩き、床が軋む度に、この建物の床が蓄積してきた様々な記憶が立ち現れてくるようです。
鈴木泰人は、様々な日本各地の芸術祭において、古い物を陳列しインスタレーション化するという実践を行ってきた現代アーティストです。従来、光に着目してインスタレーションの演出を行ってきましたが、近年はサウンドインスタレーションのプロジェクトも行っています。今回の曲は、震災により厳しい状況にある石川県珠洲市で行ったフィールドレコーディングのもの音から、作家自身が震災前から深く関与してきた同地域の記憶を手繰り寄せるような内容に仕上がっています。
S .Grayはカナダ出身で奈良をベースにするサウンド・アーティストです。ユニークな質感を持つフィールドレコーディング作品も多数手がけている同アーティストは、今回のコンピレーションには百円ショップで売っているバウンスボールなどを使った、「静かなノイズ作品」を提供してくれました。
Natsumi Nogawaはクラシックのパーカッショニストというバックグランドを持つ音楽家です。今回の作品は、同氏が近年集中的に取り組んでいる鉢の音を使った実験と、その音をコンピューターで処理した音により作られています。鉢という、普段は楽器にならない物体が持っている、秘めた美しい響きを体験できる作品に仕上がっています。
Masayuki Imanishiはコラージュ感の強いフィールドレコーディング作品を世界各地のレーベルからコンスタントにリリースしているアーティストです。今回の作品は、テープデッキで録音した音をテープデッキで何度もモジュレーションすることで制作されました。それは、まるでテープデッキという物が潜在的に持つ特性のようなものを音を媒介として顕在化させた作品と言えるでしょう。
Leo Okagawaはレーベルzappakを運営する一方、現在の日本の即興シーンで最も活発に活動しているアーティストの一人です。今回の作品は、ラジオの音をコラージュして制作されており、それはまるで様々な方向からの電波を受け、それに反応し続けるラジオの姿を立体的に立ち上げ、人間の管理を超えて作動する自律的なラジオの状態を描き出しているようです。
sorta opalkaはato.archives主催者によるプロジェクトで、シンプルな同一の行為を様々なものを用いて行い、それをコンタクトマイクで集音することで、もの自体の響きの違いをきわ立たせるような実験を行った作品となっています。
更にテープスリーブには、哲学者である飯盛元章氏により、日本の文化的コンテクストを説明しながら、monootoを哲学的な視座から検証したエッセーが掲載されています。現在、我々の社会では、加速化する環境危機や気候変動の中で、人間中心主義的に作り上げられてきた世界観への問い直しの必要性が叫ばれています。そのような状況を前にして、政治経済的なレベルでアクションがなされることが多いですが、それと同時に、そしてそれ以上に求められるものが人間の内面的な感受性の開発であると言えるのではないでしょうか。それらを通して、我々は人間中心主義を超え、様々な動物や事物と共存していくための容易に言語化できない「感覚」を得ることができるからです。危機的状況の渦中にある現代において、様々な「もの音」を意識化しながらそれに耳を傾けていく行為monootoの実践は、最終的には音楽的行為を超え、現代に求められる新たな感性を育むプラクティスになるのではないかとato.archivesは考えています。