はたらくってなんだろう
「きょうだい児」って言葉があるらしい。
障害のある兄弟のいる人のこと。
幼いころ、自分は大きくなったら、
「大切なものを守るためにはたらくんだ」
って思ってた。
それが大人になったときの私の役割だと思っていた。
私の大切なものは、お兄ちゃんで、ダウン症で、知的障害があった。
お兄ちゃんは、学校で、いじめられたって、そんなことおうちではひとことも話さなかった。いつも家族のなかで、友人のなかで、ただ、にこにこにこにこ笑っていた。
でも、たった、一度だけ、そんなお兄ちゃんが家族の前で、大泣きしたことがある。
阪神淡路大震災の朝、めちゃくちゃになったおうちの中で、
「学校で、いっつも、僕、うんこのにおいするって言われるねん。」
って開口一番、小さく叫んで、わーん!!わーん!!て大声で泣きだした。
おうちがつぶれるほどの地震は怖くて、怖くて、仕方なかった。怖くて、怖くて、お兄ちゃんは怖かったこと全部思い出して、抑えきれなくなって、家族の前で初めてわーん!!わーん!!て泣いた。
なんて邪悪な世の中なんだろう。私はうんと、うんと、えらくなって、お兄ちゃんを守るためにはたらくんだ。
社会的にも、経済的にも、えらくなって、誰にも文句を言わせないくらい立派な大人になるんだ。
そうやって大切なお兄ちゃんを守るんだ。
幼い私は強くそう思った。
私にとって、兄は、弱くて、もろくて、どうしても守らなければならない存在だった。
そんな私は大人になって、大きな大きな心の病を患った。
それはそれは、大きな病で、人が壊れてしまうほどだった。
お金もなにもなくなって、
社会の底辺を、
弱者としてさまよいながら、
でも、私を私として、接してくれる人たちがいて、
でも、私を私として、包んでくれる人たちがいて、
でも、私を私として、愛してくれる人たちがいて、
私は私のままでいることができた。
お兄ちゃんは、私が近づくとかわらず、妹の私の頭をなでた。
なんだ、大切なものを守るために、はたらこうと思っていたのは私だけじゃなかったんだ。
そして、そのために必要なものは、幼いころ、私が、考えていたものとは全く違っていた。
かたくなに自分が守ろうと思っていたものに、悠々と、守られてしまうことも悪くない。
そんなことに気づいたのはつい最近のこと。
今、通勤電車にゆられながら、ここにいるひとたちには大切なものがあるのかな、と思いをめぐらせる。
長い長い冬が明けるのを待ちながら。