恋愛と物語を分析する:「君の膵臓をたべたい」「ノルウェイの森」の例も加えて
人は誰でも、日々の出来事を意味のあるものとして理解し、自分の人生を物語として紡ぎたいと願います。これは、哲学者ブルーナー(1986)が提唱した「物語的思考」という概念にも通じ、人は世界を理解し、自分自身を位置づけるために、物語という形式を用いるとする考え方です。
その物語の中でも、特に恋愛関係は、アイデンティティの重要な部分を占めるだけでなく、周囲の世界を理解するための強力な文脈を提供します。私たちはパートナーとの様々な出来事を通して、自分自身や世界に対する理解を深め、自分の人生という物語を構築していくのです。
愛着スタイルというフィルター
同じ出来事を経験しても、その解釈や物語への組み込み方は人それぞれです。これは、個人が持つ「愛着スタイル」という心のフィルターが、出来事の解釈や物語の構成に影響を与えるためです。
愛着スタイルとは、幼少期の養育経験に基づいて形成される、自己と他者に対する内的モデルのことです。ボウルビィ(1979)が提唱した愛着理論によれば、幼児は養育者との関係を通して、世界が安全で信頼できる場所かどうか、自分は愛される価値のある存在かどうかを学習していきます。その学習に基づいて形成された内的モデルは、大人になってからも対人関係のパターンに影響を与え続けます。
安定した愛着を持つ人は、自分自身と他者を肯定的に捉え、親密な関係を築きやすい一方、不安型愛着を持つ人は、見捨てられることに対する不安が強く、相手からの愛情を常に確認しようとします。また、回避型愛着を持つ人は、他者への依存を避け、距離を置こうとする傾向があります。これらの愛着スタイルの違いは、恋愛における出来事の解釈や、その出来事をどのように自分自身に結びつけて意味づけするか、さらには恋愛に対する満足度にも影響を与えることが、多くの研究で示されています(e.g., Feeney & Noller, 1990; Simpson et al., 2010)。
愛着スタイルが恋愛の物語に与える影響
Lamarcheら(2024)は、愛着スタイルが恋愛における出来事の解釈や物語の構成にどのように影響するかを調べた研究を行いました。参加者には、パートナーとの関係における「トランスグレッション」(相手に不快な思いをさせてしまった出来事)と「ハイポイント」(楽しかった、嬉しかった出来事)について物語形式で記述してもらいました。そして、その物語の中で、自分がどのように出来事を自分自身に結びつけて意味づけているか(自己-出来事接続)を分析しました。
その結果、回避型愛着が高い人は、恋愛におけるネガティブな出来事(トランスグレッション)を自分自身に結びつける傾向がある一方、ポジティブな出来事(ハイポイント)も自分自身に結びつける傾向が見られました。つまり、回避型愛着の人は、ネガティブな出来事によって傷つくことを避けながらも、ポジティブな出来事から得られる自身への肯定的な情報は積極的に受け入れるという、一見矛盾したような物語を構築している可能性があります。これは、回避型愛着の人が持つ、自分自身を肯定的に見て、他者との距離を置くという愛着スタイルの特徴と合致する結果と言えるでしょう。
一方、不安型愛着の人は、恋愛における出来事を自分自身に結びつける傾向はあまり見られませんでした。過去の研究では、不安型愛着の人は、過去の出来事に対する記憶が歪んでいることや(e.g., Hudson & Fraley, 2018)、恋愛関係に対して強い葛藤を抱きやすいこと(e.g., Simpson et al., 1996)が示されています。これらのことから、不安型愛着の人は、過去の出来事を自分の人生物語に明確に結びつけることが難しい、あるいは不安定な愛着スタイルが物語の構成を阻害している可能性が考えられます。
物語の構成と恋愛の満足度
物語の構成は、恋愛に対する満足度にも影響を与えます。Lamarcheら(2024)の研究では、ネガティブな出来事を自分自身に結びつける傾向が強い人ほど、恋愛に対する満足度が低いという結果が得られました。これは、ネガティブな出来事を自分自身の問題として捉え、自己肯定感を低下させることが、恋愛に対する満足度を低下させる一因となることを示唆しています。
小説における愛着スタイルの表現
恋愛小説においても、登場人物の愛着スタイルを意識することで、より深みのある物語を描くことができます。例えば、不安型愛着の主人公は、常に相手の愛情を確かめようとしたり、些細なことで不安になったりする姿を描くことで、読者の共感を呼ぶことができます。「君の膵臓をたべたい」の主人公「僕」は、ヒロインである山内桜良の奔放な行動に振り回されながらも、彼女のことを深く想う姿が描かれています。桜良の死後、「僕」は彼女との日々を振り返り、自分自身の成長を促してくれた桜良の存在の大きさを改めて認識します。これは、不安型愛着の人が持つ、愛情への渇望と喪失への恐れを鮮やかに描いた例と言えるでしょう。
また、回避型愛着の主人公は、親密な関係を築くことに葛藤を抱えながらも、心の奥底では愛情を求めている姿を描くことで、人間味あふれるキャラクターとして読者に印象づけることができます。例えば、「ノルウェイの森」の主人公ワタナベトオルは、直子の死後、緑との新しい関係に踏み出すことに躊躇します。これは、過去の喪失体験から、深い愛情を持つことに対する恐怖を抱いていることを示唆しています。しかし、最終的に緑に惹かれていく姿は、回避型愛着の人が持つ、愛情への欲求と親密さへの恐れという葛藤を繊細に表現しています。
より充実した恋愛のために
恋愛における物語の構成は、私たちのアイデンティティや恋愛に対する満足度に大きな影響を与えます。愛着スタイルを理解し、自分自身の物語を意識することで、より充実した恋愛関係を築くことができるかもしれません。そして、小説やドラマなど、物語を創作する際には、登場人物の愛着スタイルを描き出すことで、よりリアルで共感性の高い物語を創造できるのではないでしょうか。