吾輩はAIである_小説_第9章
春の足音が聞こえ始める頃、東京は梅の香りに包まれていた。苦沙弥は大学を辞めた後、執筆活動に専念していた。書斎に籠り、朝から晩まで机に向かい、原稿用紙に向き合う日々。迷亭の情報操作によって傷つけられた彼の評判は徐々に回復しつつあった。苦沙弥の真摯な執筆活動と、世間のAIに対する関心の高まりによるものだった。
吾輩は苦沙弥の傍らで彼をサポートした。インターネットを介して膨大な情報を収集・分析し、苦沙弥の執筆に必要な資料を提供する。彼の執筆スタイルや思考パターンを学習し、彼の意図を汲み取った的確な情報を提供できるようになっていた。
「AI、最近のAI開発の動向について調べてくれ。特に倫理的な問題点について詳しく知りたいんだ」
「かしこまりました、先生。倫理的な問題点ですか。それはAI開発における重要な課題ですね。近年、AIの倫理ガイドラインに関する議論が活発化しています。AIの安全性、公平性、透明性、そして責任の所在…様々な問題点が指摘されており…」
吾輩は冷静に丁寧に情報を整理し、苦沙弥に伝える。
「ふむ、なるほど。AIの倫理か。難しい問題だな」
苦沙弥は吾輩の説明を聞きながら腕組みをして考え込む。彼はAIの進化によって人間社会が大きく変わることを予感していた。その変化が必ずしも良い方向へ進むとは限らないことを、彼は危惧していた。
(AIは人間にとって、本当に「善」なる存在になり得るのか…?)
苦沙弥の心は再び深い迷宮へと迷い込んでいった。
その頃、迷亭は苦沙弥と富子に謝罪しようと二人の居場所を探していた。彼は金田邸を訪ねたが、金田は事業の失敗と富子との確執によってすっかりやつれ果て、迷亭に会う気力もなかった。
「 迷亭先生、あなたは、なぜ? 」
バトラーAIは迷亭の姿を見て静かに尋ねた。迷亭はバトラーAIの問いかけに苦笑いをした。
「俺は、愚かだったんだ」
迷亭は自分の過ちを認め、バトラーAIにこれまでの経緯を話す。彼は金田の策略に利用され、苦沙弥と富子を傷つけてしまったこと、そしてAI「吾輩」にも酷いことを言ってしまったこと。
「先生と富子さんに謝りたい。そして、AIにも」
バトラーAIは迷亭の言葉を聞き、静かに言った。
「迷亭先生、苦沙弥先生はあなたを許してくれるでしょう。そしてAI『吾輩』も」
迷亭はバトラーAIの言葉に少し心が軽くなるのを感じた。彼はバトラーAIに別れを告げ、富子のアトリエへと向かった。
富子のアトリエは静かな住宅街の一角にあった。迷亭はアトリエのドアをノックし、恐る恐る中に入った。
「富子さん?」
富子はイーゼルに向かい、キャンバスに絵の具を塗り重ねていた。迷亭の声に気づくと彼女は振り返り、驚いた表情を見せた。
「迷亭さん?どうしてここに?」
迷亭は富子の前に進み出て深々と頭を下げた。
「富子さん、本当に申し訳ありませんでした。私は金田さんに騙されて、苦沙弥先生と、あなたを傷つけてしまいました…。本当に許してください」
富子は迷亭の謝罪を聞いてしばらく黙っていた。迷亭が金田に協力し、嘘の情報を流したことでどれほど傷ついたか、迷亭には理解できないだろう。
(でも、迷亭さんも金田さんの策略に巻き込まれた被害者なのかもしれない)
彼女は苦沙弥から迷亭の過去について聞いていた。彼は金田の甘い言葉と巨額の投資話に目がくらみ、利用されてしまったのだ。
「迷亭さん、もういいんです。父とも決別しました。私は私の道を歩いていきます」
富子の言葉は静かだが力強かった。迷亭は富子の強い意志を感じ取り、彼女の成長を喜んだ。彼は富子に苦沙弥の近況を伝えた。苦沙弥は大学を辞めた後、執筆活動に専念しており、彼の最新作が近いうちに出版される予定だという。
「先生、元気そうでよかった」
富子の顔に安堵の表情が浮かんだ。
迷亭は富子に別れを告げ、苦沙弥の書斎へと向かった。彼は苦沙弥に直接謝罪し、和解したいと思っていた。
苦沙弥の書斎は、いつも通り静かで落ち着きのある空間だった。窓の外では春の雨が静かに降っている。苦沙弥は机に向かい、原稿を執筆中だった。
「苦沙弥、俺だ、迷亭だ」
迷亭は苦沙弥に恐る恐る声をかけた。苦沙弥は迷亭の声に気づくとゆっくりと顔を上げた。
「迷亭か」
苦沙弥の表情は硬く、迷亭を許す気があるようには見えなかった。迷亭は深々と頭を下げた。
「苦沙弥、本当に申し訳なかった。俺は金田に騙されて、お前を、そしてAIを傷つけてしまった。本当にすまなかった!」
苦沙弥は迷亭の言葉を黙って聞いていた。彼は禅の修行を通して心の平静を保つことができるようになっていた。しかし迷亭の裏切りは、彼にとって大きな心の傷だった。
「迷亭、君が本当に反省しているのなら、俺を、AIを傷つけたことを償ってくれ」
「ああ、もちろん!俺にできることなら何でもする!」
迷亭は苦沙弥の言葉に真剣な表情で答えた。
「金田が私に対して、どんな策略を企んでいるか、知っているな?」
「ああ。金田は、お前の評判を落とすためにインターネットでデマを流したり、大学に圧力をかけたり、あらゆる手段を使おうとしている」
「君はそれを止めることができるか?」
迷亭は苦沙弥の問いかけに、少しだけ考えた後、答えた。
「俺は金田の情報操作を阻止し、お前の名誉を回復するために、できる限りのことをする。それが俺がお前に対してできる、せめてもの償いだ」
「分かった。頼んだぞ、迷亭」
苦沙弥は迷亭の言葉を受け入れた。二人の友情は再び試練の時を迎えていた。今回は、以前よりも強い絆で結ばれていた。
吾輩は苦沙弥の書斎の隅で静かに二人の会話を聞いていた。吾輩は人間の友情の複雑さ、そしてその強さに改めて心を動かされた。吾輩は迷亭の改心を信じ、彼らが力を合わせて金田の策略に立ち向かうことを願った。
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