ネオ・トウキョウ・デイズ_005
未来世紀の日常クロニクル
エピソード005:記憶
西暦2***年、ネオ・トウキョウ。超高層ビル群が空を覆い尽くし、飛行車が夜の空を飛び交う未来都市。かつての東京の姿は歴史博物館のホログラム資料の中だけ。かつて緑豊かだった武蔵野の森は巨大な高齢者介護施設「シルバー・オアシス」へと変貌した。そこは最先端の医療技術と介護ロボットによって、高齢者たちが快適な生活を送れるように設計された施設だ。平均寿命が120歳を超えた今、高齢者介護は重要な社会問題となっている。
105歳になる高齢者、タロウ。シルバー・オアシスの入居者の一人。かつては有名な建築家で、ネオ・トウキョウの街並みを設計した一人でもある。若い頃は斬新な発想と卓越したデザインセンスで数々の賞を受賞し、未来都市の創造に貢献した。設計した建築物は今もネオ・トウキョウのシンボルとして人々に愛されている。老化によって身体機能が衰え、記憶も曖昧になり、シルバー・オアシスで余生を送っている。
日中は施設内の庭園を散歩したり、他の入居者と談笑したりして過ごす。庭園は遺伝子操作によって四季折々の花が咲き乱れるように設計され、高齢者たちの心を和ませる。他の入居者たちもかつては各界で活躍した著名人ばかり。彼らとの会話を通して過去の栄光を懐かしむ。しかし夜になると過去の記憶が蘇り、悩まされる。特に21世紀に起きた「大転換期」と呼ばれる時代の記憶は鮮明によみがえってくる。それは消し去ることのできない心の傷となっている。
大転換期は地球温暖化、資源枯渇、社会不安、感染症のパンデミックなど複合的な要因によって世界的な混乱が生じた時代だった。環境破壊、経済格差、政治の腐敗、社会の分断など、様々な問題が積み重なり、世界は破滅の危機に瀕していた。その時代に若者として生きており、社会の混乱と人々の苦しみを目の当たりにした。愛する家族や友人を失い、絶望の淵に立たされたこともあった。
過去の記憶に苛まれる夜、施設の医療スタッフに頼んで記憶抑制剤を投与してもらう。記憶抑制剤は過去の記憶を一時的に忘れさせてくれる薬だ。薬物によって感情や記憶をコントロールすることは普通のことだ。薬の効果が切れると、再び過去の記憶が蘇ってくる。
ある日、施設の医療スタッフから新しい記憶療法を試してみないかと提案される。「メモリー・ダイブ」と呼ばれる最新技術を使った療法だ。過去の記憶をVR空間で追体験することでトラウマを克服するというもの。メモリー・ダイブは脳に直接アクセスし、記憶を仮想現実として再現する技術である。VR空間の中で過去の記憶を追体験することで過去のトラウマと向き合い、心の傷を癒すことができる。
最初はためらう。過去の記憶と向き合うことは大きな苦痛を伴うからだ。しかし、過去の記憶に苦しめられる日々から解放されたいという思いから、メモリー・ダイブを試してみることにする。
VRヘッドセットを装着し、メモリー・ダイブ用のポッドに横たわる。医療スタッフが操作パネルを操作すると、意識はVR空間へと没入していく。VR空間は過去の記憶をもとに精巧に再現されている。
VR空間の中で、若かりし頃の自分に戻り、大転換期の東京を体験する。街は混乱に陥り、人々は飢えや病気に苦しむ。食料や水は不足し、医療システムは崩壊寸前。暴動や略奪が横行し、人々は互いに疑心暗鬼になっている。VR空間の中でかつての友人や恋人、そして家族との再会を果たす。彼らは大転換期の中でそれぞれの人生を歩んでいた。彼らとの再会を通して過去の記憶と向き合い、心の傷を癒していく。大転換期を生き抜いた自分自身の強さと人間としての尊厳を再認識する。
メモリー・ダイブを終え、穏やかな表情でポッドから出てくるタロウ。以後、過去の記憶に苦しめられることはなくなった。高齢者介護施設で穏やかな余生を送ることができる。VR空間での体験を通して過去を克服し、未来に向けて生きていく力を得たのだ。
ただ、心の中にはある疑問が残る。テクノロジーは人間の記憶までも操作できるようになってしまった。それは人間にとって本当に幸福なことなのか? 記憶は人間のアイデンティティの根幹をなすものであり、それを操作することは人間性を否定することにならないだろうか? そんな倫理的な課題について深く考えさせられる。
施設の窓からネオ・トウキョウの夜景を見つめる。街は人工的な光に照らされ、輝いている。その光の中にどこか冷たいものを感じる。テクノロジーは人間に多くの便利さをもたらしたが、同時に人間から大切なものを奪っているのではないか。現実の光と影を眺めながら複雑な思いを抱く。