ネオ・トウキョウ・デイズ_002
未来世紀の日常クロニクル
エピソード002:空虚
西暦2***年、ネオ・トウキョウ。朝日は超高層ビル群のガラスに反射し、街全体を人工的な光で包み込む。空は飛行船やドローンが飛び交い、常に騒がしい。街路樹は全て遺伝子操作によって作り出されたもの。季節の変化を感じさせることはない。
午前10時。ゆったりと目を覚ます。睡眠ポッドは個人の体質や睡眠パターンに合わせて最適な環境を作り出す。睡眠ポッドから抜け出し、自動的に調温・加湿されるバスルームへと向かう。鏡に映る自分の姿は20代の頃と全く変わらない。遺伝子操作と美容整形技術によって老化は抑制され、理想的な容姿が維持されている。完璧なプロポーション、透き通るような白い肌、吸い込まれるような青い瞳。理想の女性像を体現していた。
心は満たされていない。夫は仕事人間。二人の間には会話がほとんどない。夫はナノテクノロジーの研究開発に没頭し、家庭のことには無関心だ。クローン技術によって生まれた二人の子供たちも、それぞれ自分の世界に閉じこもっている。息子はVRゲームに夢中。娘はアイドルを目指して歌やダンスのレッスンに明け暮れる。豪華なマンションの中で、まるで透明人間のように生きているような気がする。誰からも必要とされず、存在意義を見出せない日々。
朝食は家庭用フードプリンターで作られたパンケーキと合成シロップ。未来のテクノロジーはあらゆる料理を瞬時に作り出すことができる。パンケーキは見た目も食感も本物そっくりだ。味は決して悪くない。どこか味気ない。かつて母親が作ってくれた手作りのパンケーキの味を思い出す。あの温かくて優しい味は未来のテクノロジーでは決して再現できないものだった。
朝食後、VR恋愛ゲームにログインする。仮想現実の世界。人気アイドルグループのセンターを務め、イケメン俳優との恋愛を楽しむことができる。ファンからの黄色い声援、恋人からの甘い言葉。現実世界では決して得られない承認欲求と愛情を仮想現実の世界で満たしていた。仮想現実の世界は現実世界の苦しみや孤独から逃れるための安らぎの場となっていた。
「ユキちゃん、大好きだよ!」
VR空間の恋人から愛の言葉を囁かれ、うっとりとした表情を浮かべる。恋人役のイケメン俳優は好みや性格に合わせてAIによってパーソナライズされている。まるで本物の恋人から愛されているかのような錯覚に陥っていた。現実の夫からはもう何年もそんな言葉をかけられていない。妻としてではなく、家事や育児をこなすロボットのように扱っている、と感じていた。
午後3時。美容クリニックを訪れる。最新のアンチエイジング施術を受けるためだ。永遠の若さと美しさを手に入れることが可能になった。遺伝子操作、ナノマシン、美容整形など、あらゆる技術が駆使され、老化はもはや過去の概念となりつつあった。心の奥底で本当の美しさとは何かを自問自答していた。外見だけが若々しくても、心が老いてしまっては何の意味もないのではないか。鏡に映る自分の完璧な顔を見つめながら、虚しさを感じる。
夕方、夫が仕事から帰ってくる。VR恋愛ゲームからログアウトし、夕食の準備を始める。今日も家族の会話はほとんどない。夫は疲れた表情で食事を済ませると、すぐに書斎にこもってしまう。子供たちもそれぞれ自分の部屋に戻り、VRゲームやホログラム映像に夢中になる。一人リビングに残され、再びVR恋愛ゲームの世界へと逃避する。仮想現実の世界だけが唯一の安らぎの場だった。
夜遅く、ベッドに入る。睡眠ポッドは心拍数や脳波を測定し、最適な睡眠環境を提供してくれる。温度、湿度、照明、音響など、全てが体に合わせて自動的に調整される。なかなか眠りにつくことができない。心の奥底にある虚無感が苛んでいた。
「私は、何のために生きているのだろう…」
豊かさと便利さの影で、自分自身の存在意義を見失っていた。テクノロジーは進化し、人間の寿命は延び、あらゆる欲望が満たされるようになった。人間の心は満たされない。人間の幸福とは何かを真剣に考え始めていた。物質的な豊かさではなく、心の豊かさこそが真の幸福につながるのではないか。
深い眠りに落ちる直前に、かすかに涙を流す。夜空には星は見えない。高層ビル群の光害と飛行車の排気ガスが夜空を覆い尽くしていた。かつて祖父母の家で見た満天の星空を思い出す。あの星空の下。自分はちっぽけな存在であると同時に、無限の可能性を秘めた存在であると感じることができた。あの星空をもう一度見たいと心から願った。