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僕の故郷は日本一だったのだ

人口3万人ほどの小さな町。夜になるとウシガエルの鳴き声が響く。小学校に通うには必ず田んぼのあぜ道を通り、夏になると帰るやトンボを探しに行った。つくしやタンポポを取りによく遊びに行った。無限にこの時間が続く様な気がした。

僕は兵庫県の稲美町という町に生まれ育った。”稲”が”美しい”町と書いて稲美町。その名前の通り、小さな頃は見渡す限り田んぼばっかりだった。

梅雨くらいになると、田んぼに水が入り段々と稲穂が育っていく。収穫期を過ぎると田んぼはキャッチボールしたり鬼ごっこしたり、子供の遊び場になっていた。

あれから30年近く時間が過ぎ、今では新興住宅が目立ち、昔の様な田んぼは少なくなった。それでもまだまだ他に比べると多い方である。

確か小学生の頃だったと思う。何かの授業で先生が

「稲美町は日本一〇〇が多い町です」

と言っていた。名前の由来からして想像するかもしれないが、稲収穫量が日本一とかではない。でも、ググると本当に日本一と出てくる。僕の故郷、稲美町が日本一なのは”ため池の数”である。

嘘だと思うなら調べて欲しい。兵庫県自体が47,596箇所のため池があり実はこの数も日本一だ。2位は広島県の20,910箇所だからダントツという事になる。その中でも稲美町は89箇所あり、最盛期には140箇所ものため池の数を誇っていた。 

僕が記憶している範囲でも、確かに小さい頃はもっとため池の数は多かった。最近では実家の近くのため池も半分以上埋め立てられてそこには住宅が立ち並んでいる。それでもなお日本一のため池の数を誇っているのだ。

稲美町で育つと必ずバス釣を経験することになる。僕は比較的インドア派だったけどそれでも友人に誘われて何度かバス釣をやった記憶がある。

名前の由来通り、ため池の数が豊富だったから水の流れが良く、稲穂が良く育ち、田んぼが増え、稲美町という町が出来上がったのだろうと容易に想像できる。台地なのも関係があるかもしれない。

今ではそんな稲美町も幼い頃の面影はなくなってきて、結構栄えてきた。でも都会からふと地元に帰るとやっぱり稲美町だな、と思って妙に落ち着く。

人が生まれ育った環境が、どれくらい人の人格の形成に影響しているかはわからないが、多少なりとも僕の性格には影響しているだろう。

昔は気にしていなかったけど、今となっては自分の生まれ育った町が何であろうと日本一なのは誇らしいな、と今では思っています。

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