育児猛省編
私には5歳の息子がいる。
名前はレイ。
レイは最近、急激に大人っぽくなり始めている。去年までは舌ったらずで、ぷくぷくして、まだまだ赤ちゃんのようだった彼が。巧み繊細かつ、的を得た言葉を使い始めている。それはたとえば、「そんなの、当たり前じゃん。」とか「もういい!」とか「YouTube見てる時、一緒に見ないで。」とか「ごめんねって、言いづらかった」とか。割と辛辣なことも言ってくるようになった。そして「照れること」や「不貞腐れること」や「ムカつくこと」や「意地」のように。感情のレパートリーや、掛け合わせも増えてきたように見える。当の本人は気がついていないが、ここ数週間の息子の成長は超展開である。そしてそれと同時に、周りとうまくやれず、苦しんでいる。
そして母は、焦った。
息子は「人間関係」を学び始め、毎日は練習なのだが。その「人間関係」には「家族」が大いに含まれているんだって。つまり、父と母は「ひとりの人間」として、彼にジャッジされるようになっていた。血の繋がりがある親子であろうとも「ママのこういうところは嫌い」とか「パパには、こういうところがある」とか。彼は心のどこかで親を評価し始めていて、(さらには、完全に真似をしている。)それが見て取れるようにわかるのだ。
すると当たり前の話だが、「赤ちゃん」に対する接し方と、今の息子に対する関わり方は、同じにしてはいけないと感じた。(気がつくの遅すぎた)そして私は、関わり方のポイントを変えたのだ。
彼に対して「親」としては勿論、「ひとりの人間」として側にいた方がいいのだろうと。
子供だって、相性が良くて、感じが良くて、話しやすくて、安心感があって、いつも余裕があって、受け止めてくれる人間を好むのだ。そもそも、「好きな人間」の言うことしか聞かないのが人間なんだしね。いざ、教育しようとしても、嫌なヤツの言うことには耳を貸さなくなる。そして、よく話を聞いてくれる存在があるのなら、SNSでもいいし、顔も知らんヤツのところに心は動くものだ。
親だからって。いつもガミガミしていて、イライラしていて、メソメソしていて、完璧を求めて、ヒステリーな人間は好まないよな。そりゃあ、見本が悪ければ、悪いところもコピーするよな。なんて。しつけや、教育どころではない。
焦りの進路変更だった。
それはまさしく、そのヒステリーガミガミ、メソメソ女が私だったからだ、私は子育てのスタートを大いにしくじって失敗してきたし、こうして息子が成長して、ようやく大事なことに気がついた。自分の欠けてる部分が、目の前の息子に映し出されていることに気がついた。
親子は鏡だ。だからこそ、息子は今、苦労している。息子の心は繊細で傲慢で少し、不安定に育った。私はいま、猛省しています。
お気づきの通り、実のところこんな偉そうなエッセイを書いているわたしは、学びを自分に言い聞かせるように書いているし、完全なるリカバリー期なんだ。心の底は焦っていて、「まだまだ間に合う!」そう思いたい。
母は、これからも「母親」の在り方を学んで、反省を学びにして、オリジナリティを加えて
彼とうまくやっていきたい。家族と幸せでありたい。人生は学びの数だけ、楽しくなるだろう。なんとかなる!(そう思いたい)
がんばりやす。