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耳クソと、決意表明



私は普段、ヨガ講師をしているのだが
ヨガ講師を辞めたら
「耳かき屋さん」になりたいくらい

「耳かき」という行為を、愛している。

自分の耳かきをするのは勿論、
人の耳かきが、大好物だ。

「松茸料理」と「耳かき」どっちが好き?
と、聞かれたら
余裕で「耳かき」と答える。

「成田凌」と「耳かき」どっちが好き?
と、聞かれても
秒で「耳かき」と返すだろう。

そんな感じだから、必然的に、
息子の耳かきは私の任務となり
息子の耳で言えば、百発百中を狙えるほどの腕となった。ただ、ここで要注意なのが、
耳鼻科の先生がよく言う、
「耳かきのしすぎ」
これは、育児において問題にもなりがちだからね。息子の耳!安全第一!ってな感じ。
我慢に我慢を重ね、ヤツが溜まってくる頃合いを見てる。「今か?今か?」と、その時を狙っているのが私だ。

となると、もう1人のターゲットである、
「旦那さんの耳」に標準は向きがち。

だがここで、耳かき屋さんである私的、
大誤算があるのだ。旦那さんの耳については、
「痛がり&怖がり」という客役に全く適していない上に、耳の皮が弱い!弱すぎる!すぐ赤くなるじゃん。
「あのお客さん、うるさいから血が出たりしたら大変だよ。」と。
こちらのお客様については、なかなか手が出せない理由があるって訳。非常に残念。

ということで、本日はそんな私と、家族との
耳かき物語だが。(まだ続く)
今日は待ちに待った、
息子の耳かきをするその日だったわけです。
今回は、私
我慢に我慢を重ねた甲斐もあり、息子くん
まぁまぁな収穫となりました!
「耳かき屋さん」としては
満足な結果となり、リピートは確実です!
なんて。
ご満悦だったもんだから、
そこでご同行されてましたパパさんにも
声をかけちゃったって訳。
「ちょっとお耳、拝見させてください」

なんて。本当はそんな丁寧なもんじゃなく
旦那さんを呼び止め、右耳を引っ張り
「ちょっと見せて」と。
携帯のライトをつけて、ガッツリ確認。
すると、右耳は

つるん。として、まっさら。

「えー、何もないじゃん、つまんない。
えー。何で?何で?こんな綺麗なん?」と
ちょいキレ気味の私。

「はいじゃぁ、左!」
と、投げやりに左耳を確認。

見せてみろと覗き込んだら、そこにはなんと!

耳かき屋さん的、「レアクソ」があるではないか!!大サイズ。カサカサな「ソレ」が
ひっそりと張り付いている!
もうソレは、ポケモンで言う
「草むらに、ライチュウが現れた!」
くらいのまぁまぁな、ヒット耳くそ。
地味に嬉しいぞ。これはいい。
こちとら、戦闘体制!


と、私だが。我に帰る。
「こちらの方には、手を出せない」という
ルールを思い出した。世知辛い現実。
ここで、諦めない私はなんと
夫婦の「耳クソミーティング」を始めたのだ。

「ここから真っ直ぐ行って、突き当たりを右に。曲がったところ。すぐそこにあるカーブミラーを見上げて!その位置です。」

みたいな。耳クソ番地を伝えるのが、私。

「分かりました。」と、旦那。

そうして、
旦那が自ら、耳かきを始めたのである。

「どう?」「どう?」

「ガリってなった?なるでしょ?」と

磯野貴理子みたいなテンションの私は
ウザく、ワクワクが止まらぬ一方、

「あぁ。あぁ。」と、
耳かきに真剣で口数が少なくなる旦那さん。
ふと、

「アレ?落ちちゃったかな?」なんて
言い出したもんだから

「えー?!」と私は、すかさず確認する。

すると、
そこにはなんと入り口付近に、ヤツが!

「ある!取れてる!!」と私。
思わず素手でキャッチしたその
新鮮な耳クソ。あの、生ぬるさに

「ギャーーーーーーー!」と。

歓声と悲鳴が混じる。歓喜の夜だった。





こんなに嬉しいこと、他にないよな!



と。言いたかったんだけど、実は今日
耳クソと同じくらい嬉しいことがあるの。





このエッセイ、今日で100日目です。






5/3







この#1日1エッセイ が100日目という
記念すべき日になぜ、
耳クソを話題にしてしまったのか。と
いうことは、さておき。

100日経ってみて思うことが、
山ほどあるわけです。

ただ、もう、
ここまで読んでくれた人がいる。
という事実で今日はもう。
私もあなたも、お腹がいっぱい。
だからひとまず。
明日からも夢に向かって書くために。
ひとつだけ決意表明を書きます。




私がこのエッセイを書く中で
決めたルールはひとつだけなんですね。

それは

「書きたいことを書く」

つまり

「書きたくないことは書かない」

これっていうのは
自分を守るための嘘も、
「耳くそ」みたいな、くだらない日常も、
誰かに気に入られようとする忖度も、
オブラートに包んだりするアレも。
他にも面倒臭いと呼ばれる常識、全部です。
今に至るまで。
それらをやってしまった時の私は

「誰かに、書かされている」

そう思ったのですね。
だから言葉は、
誰かに「書かされる」ものではない。
「書きたいから書く」ものだと知ったのです。
100日目にしてこれはもう確信。
私の明確なルールとなりました。

そうじゃないと、「意味がない」

それくらいです。
じゃあ
その、「意味」っていうのは何なの?って。
それをハッキリと語源化するには、
まだまだ。ペーペーなのが私なんだけど。

もう、100日目だし。言っちゃいます。






私は
「言葉で人を救うことができる」って
思っているんですね。本気です。
時に、
「人が変わるのは自分の力だ」とか
「救うなんて簡単に言っちゃいけない」とか
って意見も勿論あるけど
私は絶対に
「言葉で人を救うことができる」
そう、信じているし
本気で
「あなたのことは、私が救ってみせる」
そう思って、書いています。
バカ見たいと言われても、
これが「意味」
「意味」なんです。
私が「エッセイを書く意味」であり、
私が「生きる意味」にもなる。
そう思っています。





こうやって書くとメチャクチャ熱くて
なんか凄く偉そうな自分が
小っ恥ずかしいけど

あなたにだけ本当のことを言っておくと。

1人じゃ辛いんだ。たとえこれから、
一人で書き続けることができたとしても

このエッセイはこうして

あなたと、分かりあって
あなたと、分かち合ってこそ

初めて輝く。そう思っているよ。

つまり
私の存在を輝かせてくれるのは、
あなた。

あなたなんだよ。

いつもありがとう。

これからも、私は生きる意味が知りたいから。ダサくても貪欲に。カッコ悪くても命削って。
書いて、書いて、書き続ける!


言葉を届けて、あなたを救う。
言葉と共に、私は生きる。





また明日です。グッナイ。

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