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「ありがとう」の気持ち

幼い頃から、母親にずっと言われていることがある。「『ありがとう』がきちんと言える人になりなさい」。

わたしの母は、あまり口うるさく注意したり、怒ったりするような人ではない。基本的にいつもわたしの味方で、わたしのしたいことを尊重し、自由にさせてくれる人だった。そんな母が、たった一つだけ、何度も何度もわたしに言い聞かせたことが、感謝の気持ちを忘れないようにすることだった。

「ありがとう」って、魔法みたいな言葉だと、わたしは今もずっと思っている。少し苦手でなんとなく避けてしまっている相手でも、その一言を言われると、そんなに悪い人ではないように思えて、不思議と敵対心がすっと薄れてしまうことがある。怒っているときでさえ、「ありがとう」と感謝の気持ちを示されると、「許してあげようかな」という気分になってしまうこともある。

たった一言で、誰かを笑顔にしたり、あたたかい気持ちにさせたり、人と人との距離を近付けてくれるのだから、「ありがとう」は偉大だ。だからわたしはこの言葉が大好きだし、生きているうちにできるだけたくさん、「ありがとう」が言える人生を送りたいと思っている。

でも、日々を生きていると、つい感謝の気持ちを忘れてしまいそうになる。世界は必ずしも公平ではなく、ただ生活をしているだけでも、理不尽や不正義に遭遇する。そうやって神経をすり減らされながらわたし達は生きている。そんな日々のさなかにあって、誰かに感謝できるほどの心の余裕など無い時もある。

そういう時は、一旦心を落ち着けて、コーヒーでも飲んで一息ついて、あるいは甘いものでも食べてちょっと休憩して、思い出してみる。何気なく生きていると忘れてしまいがちだが、わたしは自分が思っているよりもたくさんの人に迷惑を掛け、支えられているのだ。この世界に命をもらったその瞬間から、数え切れないほどたくさんの人に手を差し伸べてもらい、背中を押してもらい、優しく見守られて生きてきたのだ。

学校でどんなに悲しいことがあっても、母はいつも美味しいご飯を作ってくれたし、

部活動で良い成績を残せなくて落ち込んでも、友達が励ましてくれて笑わせてくれたし、

職場で理不尽なことがあって怒りを覚えても、同僚が一緒になって怒ってくれて、それだけで気持ちがいくらか楽になった。

特別なことなんかじゃなくても全然良くて、少し落ち込んだ時に、お気に入りのカフェで食べるパスタが変わらず美味しいとか、

仕事が上手くいかない時に、大好きなアーティストの曲を聴くと少しだけ元気になれるとか、

ムカつくことがあってイライラしている時に、いつも見るテレビ番組は相変わらず面白くて笑顔になれるとか。そういう些細なことでもいい。些細だとしても、確かにそれらはわたしを救ってくれている。

生きていると辛いことや大変なことに目がいきがちだけれど、本当は同じくらい、嬉しいことや楽しいことに満ちている。それが大きいか小さいかなんて関係ない。誰もが涙するような大きな奇跡が、誰かの些細なイライラさえ鎮められないこともあるし、みんなが見落としてしまうような小さな発見が、誰かの絶望を救うことだってある。

そんな世界をわたしは心から愛おしいと思う。そう思わせてくれる色んな物事一つ一つ、たくさんの人達一人一人に、感謝することを忘れないようにしたい。

わたしの人生には具体的な夢や目標はまだ無いけれど、「大切にしたいこと」はある。わたしは、この世界で誰よりも、「ありがとう」をきちんと言える人でありたい。そして、誰よりも「ありがとう」を言ってもらえる人でありたい。まだ二十数年しか生きていないが、感謝の気持ちは人間の心と世界を豊かにしてくれるということを、わたしは知っている。だから、「ありがとう」を言うことは大切なことだといつもわたしに教えてくれた母に、わたしは心から感謝している。

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