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突然の解雇から、やりたいことを選択する人生へ(Nさん・女性60代)


解雇により強制リタイア人生のスタート

私は出版社の通販部門で、健康食品の商品企画を担当していました。当時その会社は60歳定年で、それ以降は契約社員として1年更新になります。ちょうど契約更新の1か月前、更新はしない、つまり解雇を言い渡されました。

私が担当していた新規PB開発を止めるそうで、業務のポジションごとなくなりました。本当の理由は健康食品部門の売上低迷によるリストラだと思います。

ずっと働けると思っていたし、部門長から来期は組織改編するから状況がよくなるという話もあったので頑張っていましたが、まさか自分が切られるとは。組織は本当にやっかいで、能力というより、正社員は解雇できないから契約社員からリストラされるのです。

当時はコロナ渦で、自宅でのリモートワークのせいで仕事はより煩雑化し、WEB会議も頻繁にあり、残業量も大変多かったです。

私が得意としてきた新商品の開発より、カタログの紙面校正や、売上と在庫の管理、バイヤーとしての商品の買い付けなど、業務が多岐に渡っていました。その頃、ストレスで血圧も上がり体調を崩していましたので、タイミング的にはよかったのですが、突然のリタイア生活に、正直困惑していました。

天職さがしの転職モラトリアム

私のキャリアは、両親がデザイン会社を経営していたこともあり、美大を卒業してデザイナーとしてスタートしました。

広告制作会社に就職しましたが、「この仕事は自分のやりたいことか」という疑問がわき、20代前半で、知人のつてで映画製作会社の広報に転職しました。ここは面白い世界で、コンセプトひとつで映画の興行収入が変わるのです。

その後、テレビ局、広告代理店とマスコミ業界にいました。この業界は、仕事は面白いですが、とにかく体がキツイです。
当時は業務時間が非常にブラックでしたから、徹夜も当たり前でした。
元々体が弱かったし、結婚の予定もあったので、ワークライフバランスをとることに。

友人の紹介で楽そうな株式会社白元(現在白元アース株式会社)に転職しました。それが27歳の頃です。当時は、宣伝部デザイン室の配属になり、CMの絵コンテの確認から、自社商品のパッケージデザインのディレクションまで広く担当していました。

キャリアの転機は、32歳でマーケティング部へ異動したことです。
商品企画で、一から商品を作り上げる面白さを知りました。できあがった商品の売り方を考えるのではなく、顧客の潜在ニーズをとらえてヒット商品を出すのです。

幸い、私は多くのヒット商品に恵まれ、日経ウーマンオブザイヤーのヒットメーカー部門を2度も受賞し、テレビや雑誌の取材まで受けるようになりました。

結果を出せたのは、協力してくれる周りに恵まれていたからだと思います。
世にない0→1のヒット商品は、ローンチをジャッジする幹部の決断が大きいのです。ヒット商品は、広告宣伝で作るものではなく、商品のコンセプトが顧客に伝わり認知されれば売れる商品のことだと思っています。

自分がやりたいこと、できること

こうして私は商品企画が天職なのだと思うようになりました。
すると今度は、42歳で会社から新規事業を担当する部門長に任じられました。

そこで私は、今後伸長すると思われるアンチエイジング領域と定めることにしました。防虫剤がメイン商材の会社で、ヘルス&ビューティー領域というのは冒険だったと思います。

仕事で監修をお願いした医師らとワンダフルエイジング研究会立ち上げ、色んな業種とネットワークを作っていきました。元々健康オタクでしたから、予防医学やサプリメントなどに関心が高かったので、仕事がとても面白かったです。

そんな中、セブンイレブンへの提案が通り、酸素のサプリメント(酸素カン)という画期的なヒット商品を出すことができました。自由度が高く楽しかった会社でしたが、経営が傾き、ついに倒産してしまいました。

大混乱の社内で私もポジションを失った頃、ロート製薬株式会社からヘッドハンティングのオファーがありました。なんと、54歳の時です。ロート製薬はワンダフルエイジング研究会を引き取ってくれた会社でもあったので、どこでご縁ができるかわからないものです。

私はアンチエイジングの新規事業の中で、「人を健康にしたい」というビジョンを持つようになりました。白元にいたときも、保冷剤や保温具、入浴剤など健康に関わる商品企画をしてきましたが、今度は「食」に挑戦したいと思いました。

ロート製薬では、地域創生の新規事業を担当しましたが、商品化ができても、販路開拓という点で大変苦戦しました。発酵食品なので、チルドになってしまうのです。

ロート製薬関連のベンチャー企業で、サプリメントの商品企画からマーケティングサポートをして、「食で人を健康にする」仕事をすることができました。

でもベンチャーでは、プロモーション費用もなく販売力もない。そこで私は、認知度も高く、販路もある出版社の通販部門に転職しました。顧客調査に重点を置き、少しですが人気商品も出しましたけど、解雇で終了。

こうして、天職は商品企画と気が付きましたが、販路開拓などの新規事業は向きません。組織にいると、自分の得意な能力だけを活かすことがどうしてもできません。8割以上が苦手なことと言っていいかもしれません。

組織の歯車の中で、顧客のニーズを優先することもできず、諸事情で妥協せざるを得なくなります。私は性格上、正しいことを言ってしまうタイプなので、上司と合わないと悲劇に終わります。

自分のキャリアを活かせる仕事がない。

62歳にして解雇され、ハローワーク通いが始まりました。
次に直面したのは、求人に自分の専門職を活かす仕事が全くないことです。
登録した転職エージェントのキャリアアドバイザーにも言われましたが、年齢の壁が低くなったとはいえ、まだまだ転職は35歳まで説が強いようです。
今まで私は人脈でずっと転職してきたので、現状を認識していませんでした。

できる仕事の棚卸ということで、経験を積んだ業務を並べてみました。
デザイン、コピー、クリエイティブディレクター、作家(小説7冊出版)、商品企画、昔の広告宣伝、マーケティング、食品保健指導士、漢方エキスパート、発酵プロフェッショナルと、色々出てきました。

一番の問題は、DX化で時代が変わったということです。過去の経験が生かせないのです。マーケティングも今はデジタルが主流なので、専門スキルがないとできません。

ハローワークでは職業訓練を薦められ、WEBデザインを受けることにしました。デザインはできても、デジタルソフトを使えないと話になりませんから。20~30代の子に混ざって勉強して、資格もとりましたが、求人はありませんでした。フリーで仕事をとるにしても、実績がなく・・・。

そんな時、見つけたのがRD LINKでした。

自分を活かせる自由な生活

たまたまフェイスブックで、仕事でお世話になった方がRD LINKを紹介していました。

ここなら、自分の得意のスキルを活かすことができる、苦手なことはやらなくていい、しかも自分の時間で働ける。
即、登録しました。

多少お仕事をさせていただきましたが、この業界はプロダクトアウトが主流なのだと痛感しました。プロダクトアウトは、企業の強みを最大限に活かして商品を開発することで、企業の都合でできたものを、お客様に薦める行為です。なので、お客様が欲しくなる仕掛けが必要になります。

本来のマーケティングは、お客様の潜在ニーズに沿って、「あなたが欲しいものを作りました」というマーケットインが望ましいです。
まだまだ、私が得意領域を活かし、お役に立てそうな気がします。

これからは、運動と食で健康をキープしつつ、社会のお役に立つことで、脳の健康をキープして、楽しい老後を過ごそうと思います。
この仕事をしていると、予防医療の最前線の情報も入りますし、一石二鳥で健康長寿を目指せます。

やりたくないこと強要されるのではなく、やりたいことを選択する人生になりました。

愛猫です

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