原点回帰。研究開発へのチャレンジングな初心を思い出し楽しみたい(匿名さん・50代女性)
はじめまして。RD LINKに登録させていただいたばかりのメーカー勤務ベテラン女性管理職です。
走り抜けてきた社会人生活。キャリアは結果論で自然に開けると思っていた。
理工学系で大学院を修了した後、憧れだった研究員として企業での社会人生活をスタートしました。以降、同じ企業で食品素材関連の研究開発・技術営業・経営企画の実務、そしてマネジメントを担ってきました。研究した結果を持ってユーザーと直接接する機会や、事業全体の損益管理と中長期計画の策定は、たやすく上手く進むことばかりではありませんでしたが、手ごたえのあるものでした。
子供達が生まれた後は日々綱渡り、仕事との両立に悩む間もなく、少々のことには目をつぶり走ってきました。両親の介護も終わってふと立ち止まると、なんと50代の後半を迎えた自分がいました。社会人生活、特に40代以降の後半の年月の速さは不思議なほどです。
リンダ・グラッドン教授のライフシフトという著書を初めて読んだのは、今から5年ほど前のこと。変化が加速する現代では、「1教育-2仕事-3引退」という従来のシンプルな3ステージのモデルから、「学び―仕事―したいこと」その境界が無いマルチステージに移行するのだ、というメッセージです。
よく整理されたメッセージとして受け取りましたが、その時は特段に目新しい話とは感じられず、今にして思えばやや他人事でおりました。たまたま会社生活の途中、40歳代で、思うところあって出身とは異なる大学院で学んだ経験があり、少なくとも学び直しは自分にとって未知なプロセスでは無かったからです。
また当時は社内では数十人規模の組織の長を任されて、前だけを向いていました。長く勤める会社だからこそ、日々の職務に打ち込むことが正解で、結果としてキャリアは自然に開けるものと考えておりました。
社内異動が公募式に。「キャリアは自分で作るもの」が現実に
そして今年。
転職によって去る人・来る人が、身近な社内外とも急激に増えたことにふと気づきました。社内異動は上司の判断からオープンな公募形式にシフトすることが決まりました。「キャリアは自分で作るもの」はスローガンでなく実態となりました。
直接的なきっかけは、トップがいわゆるプロ経営者に変わり、対外的にも脱年功序列・能力主義・ポスト数の大幅圧縮・人材のグローバル化を掲げたことでしたが、これは自社に限ったことではなく、低成長のループに陥ってしまった日本の企業に共通の流れと見るべきでしょう。
その中である日突然、ライフシフトの本の中の、「会社一筋だった初老登場人物が、信じてきた拠り所を無くし、失望して葛藤する」、その姿と自分自身とがかなり重なることにハタと気づきました。
自覚のないまま会社に依存していた自分に気づいた
話は横に反れますが、日本の従来型大手企業の中では女性総合職のほぼ第一世代に近い年代に位置づけられるのが私です。企業のマジョリティではなくマイノリティとして経験や苦労も多少はあり、会社一筋などという言葉と自分は、遥かに遠いものであると思っておりました。
そのため自分自身の状況が「典型的な初老の日本人男性」と重なることを発見したこと自体に少々びっくりしましたが、それだけ脱昭和的変化の次元を一気に飛び越え、足元の地盤がグローバルなビジネス競争と社会変化で揺るがされていることを意味するのかも知れません。
話を戻し、「キャリアは自分でつくるもの」への変化ショックの中、頭の中が変化への反論でいっぱいになりかけたこともありました。同じ時期、おりしもコロナ感染拡大が落ち着き、世代や立場の異なる友人や知人と久しぶりに再会したところ、誰しもがコロナ感染をきっかけに多かれ少なかれ仕事を見つめなおし、自身の働き方を柔軟に変えつつあることを知りました。
就業した3人の子供全員が転職を経験しているという年上の知人もいて、一世代のうちに社会は変わった、このあとの一世代ではどこまで変わることだろう、という話にもなりました。
こうした、現職とは別の古くからの仲間たちとの何気ない会話を重ねる中で、いつの間にか今の会社に依存していた自分、つまりそれは経済的な依存と、承認されたい依存の両面において「キャリアと言えば社内プロモーション」といった文脈の自分が、少しずつクリアに見えてきました。
情報整理と自分の棚卸に着手
そこで。遅ればせながら、改めて今の副業や転職についてネットや本を斜め読みして分け入ってみたところ、次の3点に行き当たりました。
・依存先をひとつに絞らず、依存先の増やすことが、依存からの脱却
・複業はさまざまである。単純作業、不労所得、新たなスキル獲得、リスクテイク型起業、これまでの経験とスキルを活かした業、に分類される
・これまでの経験とスキルを活かした複業は、定年後のセカンドキャリアや、転職や起業の現実的なファーストステップになりうる
変化への反論で頭をいっぱいにしていた時期は不安で、闇雲にスクールに通いそうになったり、年齢への憂いに陥りそうになったりとややヒートアップしていましたが、先ほどの3点が俯瞰できると少し落ち着いて、これまでの経験とスキルで活かせるものは何だろうと考えることを始めた今の私です。
R&Dエキスパートとしてのチャレンジにワクワクしている
さて一方、今までの自分の業務においても、社外からエキスパートの方をスポットでお願いして目的達成を図るというシーンはありました。
その時求める知見は、非常にピンポイントで、しかも深いものでした。また、基本的にはメーカーはオンリーワンの強みと守秘を重視して社内技術者をインキュベートしてきたため、社外エキスパートの巻き込みはするものの、年がら年中ということはありません。
加えて、オンゴーイングのプロジェクトについて、内容はもちろんその存在を、片端から多くのエキスパート候補に開示することは守秘の点から極力避けたく、あまり広い範囲にオファーの情報を流すケースが少ないのではないかと思います。
したがって、逆に自分がエキスパート側の視点となった時に、R&Dのエキスパートオファーの総数は、(DX構築的な業務を除き)ある程度限られること、またそもそも複業市場には、現役から既にリタイヤされた方々まで、幅広い年齢層の候補者が数多くおり、圧倒的な買い手市場であるとも噂として聞こえます。
そうした中でこのRD LINKが、単なるマッチングアプリ機能では無いこと、コンサルタントの方々が伴走くださることを非常に心強く感じます。誰かの技術的課題とエキスパートの力が結びついてきた実績を思い浮かべますと、コンサルタントの方々のプロデュース力・アレンジ力が様々なギャップを埋めてくださることが想像でき、ワクワクするような気持でもおります。
このあたりの実際のところは、登録したばかりの私は残念ながら多くを語れません。先輩エキスパートの方々からも是非詳しくご経験談をお伺いできればと思います。
埋もれかけていたピュアな初心に立ち返ってものづくりの原点を目指したい
思えば新卒として就職するときは、たとえ困難な研究開発であっても粘り強く取り組みたい、困難を乗り越えたい、ものづくりを通して社会に参加しものづくりを大切に楽しみたい、というピュアな気持ちだけでした。
社会人生活が長くなるにつれ、経営の全体感、そして競合他社に勝つことの難しさを知る一方で、埋もれかけていたチャレンジングな初心を思い出しているところです。これから出会うクライアントの方々と困難を乗り越えたい、あらためて原点を目指す機会にもしていきたいと思っています。
リンダ・グラッドン教授の著書ライフシフトからメッセージはもうひとつありました。
情報や意見を交換できる仲間、ともに過ごす友人や家族関係、自分自身について整理できていること、それらは重要にして大切な「無形資産」であり、その構築が非常に重要だということです。話し合うことで、新しいビジネスチャンスの予兆や、新しい自分像をキャッチできるかも知れません。
RD LINKには、クライアントを含めた社会的ネットワークの広がり、そしてRD LINK内での繋がりの機会があります。特に後者、複業で一歩を既に踏み出されたエキスパート先輩の皆様とお目にかかり、このnoteの場も含めて、百人百様、百ケース百様のご経験に触れられることを、大変楽しみにしています。
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