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カウンセラーになろうとするのではなく

カウンセラーになろうとする気持ちを捨ててやる。

カウンセラーになろうと意気込む、はやる気持ち、強迫にも近い観念なんぞ放り投げて、カウンセラーになろうと『思うこと』こそをやめてみるのだ。

「わたしはカウンセラーである」という職業的立場。その認知を一刻も早く人々から獲得するためにカウンセラーという肩書きを名乗るとか、資格を取得するとか、そういうことではない。そもそも、己の所有欲を満たすために勉強して何かしらの資格を取得するというものではない。

そんなことよりも今は、今の自分に求められている、目の前にある、ひとつひとつのちいさな仕事、ちいさな作業、ちょっとした頼まれごと、対話や雑談に至るまで、すべてのコトに対して丁寧に「支援する」心で臨み、ただただやり続けていく。

カウンセラーとは「支援者」。
カウンセリングとは「支援業」。

インターネットを利用したカウンセリングに取り組もうというのであれば尚更だ。生身の人間の、現場の感覚を身に沁みてわからずして、どうして通信手段越しに人の言うことを生々しく受け止められるものか。生々しく受け止められたとして、どうしてそのことが相手に伝え返せるものか。

さておき。

すべてのコトに対して丁寧に「支援する」ことこそが、生身の人にとっての、現場に根差した、臨床カウンセラーへの道なのだと信じる。

だから今は、目の前に求められた「支援でき得ること」すべてに対して、丁寧に支援して、確実に結果を出して、信頼を積んでいくこと。それが何よりも大切なことなのだ。

何よりも大切なのは確かだ。
だけども、それだけだと、なんかおもしろくない。

その「支援」には、求められている水準…要するに最低限の要件をクリアした上で、さらにほんの少しだけ自分流の気遣いをブレンドしてみるのだ。遊び心というお湯を沸かして少しばかり注ぎ込むくらいのつもりで。そうすることで、期待をちょっとだけ超えた、かつ自分ならではの結果が出る。というか、丁寧に「支援する」心でただただやり続けていれば、その結果には自分ならではのテイストが自然に醸し出されているということなのだと思う。

きっとそれが、自分の在りたい姿であり、自分の持ち味を発揮できる「脇役」への道なのだと信じる。

そんな道をコツコツと歩き続けていけば、この人が居なくてもなんとかなるかも知れないけれど、居てくれないとなんか困るというような「名脇役」になれて、肩書きも、資格も、収入までも、きっと後から付いてくる。

今、目の前にあるすべての「支援でき得ること」は、プロジェクトなのだ。

だから、今はさしあたって「プロジェクトサポーター」という肩書きを勝手に作って、便宜上名乗っておくことにする。

その肩書きが、いつ、どう変わっていくのか、今はわからない
それでいい それでいい

【Road to Nowhere / Talking Heads】
(日本語訳)

どこへ行くかはわかっているけど どこから来たかはわからない
何を知ってるかはわかっていても 何を見てきたかはわからない
ぼくらは小さな子どもじゃない だから何を欲しいかはわかってる
未来があるのは確かだ うまくやっていける時代にしたいな

ぼくらは先の見えない道に立っている こっちのほうに来なよ
どこともつかずに進んでいる ぼくら自身の足で

今朝はとても気分がいい わかるだろ
今立っている道を行くのはおもしろそうだよ
さあ行こう さあ行こう

ぼくらはどこともつかずに進んでいる こっちのほうに来なよ
どこともつかずに進んでいる ぼくら自身で

一体どこへ向かって? と不思議がるかも知れない
ぼくは気にしないけど
そこは これからはぼくらの時代だと胸を張れるところ
向かって行こうじゃないか そこを目指して

ぼくらは先の見えない道に立っている
ぼくらは先の見えない道に立っている
ぼくらは先の見えない道に立っている

そこには心に描いた街がある こっちに来て進むんだ
それでいい それでいい
そこはとても遠いけど 日々刻々と大きくなっていく
それでいい それでいい
こっちに来ないかい? この歌を一緒に歌ってくれないか?
それでいい それでいい
奴らはキミに何やかや指図して キミをバカにするだろう
でもそれでいい それでいい

先の見えない道に立っているのさ


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