相手の気持ちはわからない、自分の気持ちすらわからない(前編)
患者さんに限らないのですが、
実業家さんとか、官僚タイプの職種の人とか、
心身症(ストレスに無自覚のうちに、先に生体機能がダウンを起こす)
の人と話していている時に、
多いような気がするのですが、
グキっ!!て、捻挫したみたいに、
あまりにも話の筋道が噛み合わないな~、
と思うことがあります。
もしかしたら、
一般人と、心理系専門職で、
基盤となる前提が、
あまりにも違っているのではないか、
と思い当たることが、一つ。
自分の意識は自分である、
自分の気持は自分が一番よく知っている説
vs.
自分の意識は自分ではない、
自分の気持ちは自分が一番よくわからない説
という、真逆の認識の前提です。
地動説と天動説のヒトが、話し合うみたいに、
話がすれ違っているのかもしれない。
心理臨床の業界人であれば、自分の意思決定は、
意識がしているのではない、
と思っていると思います。
自分の意思とは関係なく、
その人の広大な歴史のデータベースから作られた、
スーパーコンピューターのように賢く精巧な無意識の領域から、
行動決定、現実創造がもたらされている。
どうしても〇〇になりたいのに、どうしてもできない!
〇〇をやめたいけど、そういうわけにはいかない!
心理臨床というのは、このような、自分の意思ではどうにもならない、
という人の葛藤状況に立ち会うからです。
自分で意識できる範囲は、努力してもしなくても、
せいぜい5%、微々たるもので、
いくら、頭でやりたい、やめたい、と言っても、
自分の顕在意識の通りにはいかない。
と、考える。
現代の臨床心理学は、
何百にも派生し、進化し続けているとは言っても、
フロイトの無意識の発見が、やはり土台になっていると思います。
「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ」と、
自分の意識は後付で、身体が先だ、と考えた心理学者もいるし、
そもそも、悲しいのだって、アヤシイものだ。
生物学的に、周期的なホルモンの変動や、
内分泌系、自律神経系、栄養状態や血流、によって、
身体の反応を、悲しい、と脳が誤認しているだけかもしれない。
心理学や、現象学、マインドフルネス哲学や、
ノンデュアリティーの思想を持ち出すまでもなく、
自分の意識も思考も感情も決定も、自分ではない、
に、たどり着くように思うのですが。。。
相手の気持ちはわからない。