ご家族や大事な人の悩みを解決してあげたくなった時に、思い出すことば。
「まかせる」ということ、
という詩を紹介したくなったので、
今日は、シェアしますね。
僕がこの詩に出会ったのは、
いまからちょうど10年前のことです。
北海道浦河町にある、精神疾患を持つ人の活動拠点、
べてるの家に遊びに行った時のことです。
そこでは生きづらさを抱える人が全国から集まって、
当時で200人くらいの人が共同生活をして、
自主活動、自分研究の発信をしていました。
そこで僕たちは、ある日の晩に統合失調症を持つ人のSAという自主活動があるというので、グループに参加させてもらったのです。
※ SA=Schizophrenics Anonymousの略。医者が治せない病なら、自分たちで回復させよう、として生まれたプログラムで、コメントやアドバイスせず、人の気持ちをただ聴くことだけをする。
たしか、場所は、浦河日赤病院のフロアの奥の、
小さな茶室? 職員休憩室のような、
畳の部屋だったと思う。
もう日が暮れて暗くなっていた時間なのに、
10人くらいの人が自主的に集まっていた。
そこで、この詩が書いたプリントを配られて、
一節ずつ、みんなで読みあったのが、
最初の出会いだったと思う。
原典はわかりませんが、べてるメンバーの伊藤さんが、
アメリカ留学した時に見出した詩を翻訳したものだそうです。
以下、全文。
「まかせる」ということ
「まかせる」とは、心配をやめることではない、
その人に代わって解決できないということを知ること
「まかせる」とは、関係をたち切ることではない、
その人をコントロールできないということに気づくこと
「まかせる」とは、その人の望みどおりにしてあげることではない、
自然に起きてくる結果にゆだねること
「まかせる」とは、自分の力のなさを認めること、
すなわち結果を自らの手で何とかできるものではないと認めること
「まかせる」とは、その人を変えようと試みたり、
その人を責めたりすることではない、
自分自身を変えること
「まかせる」とは、その人の代りに心配することではない、
その人に起きていることを心配すること
「まかせる」とは、修正してあげることではない、
サポートすること
「まかせる」とは、良い悪いを評価することではない、
その人の人生を認めること
「まかせる」とは、その人と誰かの間に入って調整することではない、
彼らの関係を彼らの手にゆだねること
「まかせる」とは、保護してあげることではない、
その人が現実と向かい合う機会をうばわないということ
「まかせる」とは、否定することではない、
受け入れること
「まかせる」とは、がみがみ小言をいったり、
叱ったり、言い争うことではない、
自分の不十分さや人を正そうとする自分自身を吟味すること
「まかせる」とは、自分の願いをすべてかなえることではない、
一日一日起きてくることを受け止め、それを大切にすること
「まかせる」とは、人を批判したり、管理したりすることではない、
自分が望む自分になれるよう試みること
「まかせる」とは、過去を後悔することではない、
成長すること、明日を生きること
「まかせる」とは、恐れや不安が減り、
愛が増えること
・・・・・
僕は、この詩をみたとたん、
衝撃を受けたのを覚えています。
この詩で言っている、「~ではない」のほうばかりで、
回復の邪魔ばかりしている自分に気がついて、
自分が恥ずかしくなったのです。
いや、今でもこの詩を読み返すたびに、
毎回ドキッとしてしまう。
「まかせる」とは、心配をやめることではない、
その人に代わって解決できないということを知ること
あぁ、解決するようにばかり、
考えているよな。。。
「まかせる」とは、その人と誰かの間に入って調整することではない、
彼らの関係を彼らの手にゆだねること
あ~、いつも、対人関係の悩みに、
下手なアドバイスしてしまう。。。
「まかせる」とは、保護してあげることではない、
その人が現実と向かい合う機会をうばわないということ
あ~、また、その人の現実体験を、
奪うようなことをしてしまった。。
その人に対して、痛みや弱さを見て、
それに自分が耐えられず(無意識で)、
その人なりの取り組みを見守ることを忘れてるのだ。
人生の運転席に座るその人のかわりに、
ハンドルをとって、操縦しようとしたくなる衝動がある。
ここが無自覚になって常態化すると、
その人が自らのハンドルを握る、
本来の人生の本質を、奪ってしまう。
医者だけではなく、医療福祉の援助職や、セラピストは、
ある程度経験を積むと、
みな、この課題に向き合っていくのではないでしょうか。
でも、これは、専門職ではプロとして扱うテーマですが、
なにも専門家だけの難しい話じゃないと思います。
みんな、必ず、誰かを助け、助けられる立場にいる。
日常生活の中での身近な話しです。
人間やってると、みなが持たされている、
自我意識のしくみのことです。
診察室でも、誰かをどうにかしなきゃ、
どうにかしてあげなきゃ、という話題で持ちきりです。
夫に、妻に、子供に、親に、兄弟に、
自分が変わって解決しようとしている。
部下を、上司を、ママ友を、パートナーを、
クラスメートを、友達グループを、、
「調整する」にはどうしたらいいか。
さらには、同じ病を持つもの同士でさえ、
自分より、より「弱き者」(と写し出した人)に対して、
「どうにかしよう」というこころの働きに動かされる。
そうだな、そう言えば、
最近、大事な家族に対してどう対応したらいいんですか、という
相談が、めちゃくちゃ増えていたような気がする。。
、、、そうか、それは、
自分自身の姿だったのか。
いま気がついた。
そして僕の無意識が、
この詩をまた、思い出させてくれた。
大事にしたいと思う身近な人であればあるほど、
心配して余計な手出し口出ししてしまったり、
逆に、気にかけることが辛くなって、
心配を止めてしまったりして、
その人を大事にしたいはずが、
その人への尊重を忘れてしまう、
というこの矛盾。
弱い者がより弱い者を写し出して、
なんかしようとしてしまう、
人間という習性。
そんな弱さを、
そのまんまに公開し、
共有しているべてるのグループの体験は、
ものすごく静かで、
ものすごく力強く、
僕には感じられたのでした。
今日もいい天気ですね。
ここまで読んでくださって、
ありがとうございます。
でわでわ、また。
よい日曜日の午後を(^^)
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