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「人のふり見て我がふり直せ」と「鏡の法則」
人は、赤ちゃんの頃から視覚、聴覚、知覚体験から情報を得て学習し、
意識と、それ以上に膨大な無意識のデータベースを構築していて、
知覚と歴史による個体差によって、異なる世界を見ている。
世界は、脳みその中でひととき揺らめく、夢みたいなものだ。
映画マトリックスの世界観ですね。
その哲学?みたいなものを、
実生活の生きる知恵として、
例えば、精神世界で言う、鏡の法則とか、
臨床心理学では投影という防衛機制とか、
いろいろ、役に立つ発想が生まれる。
世界は自分の認識だとしたら、
望まないことばかり起こる、この世の中をよく見ることで、
自分の無自覚な認知のデータにたどり着き、
訂正していくことに、この世界を使うことができる。
例えば、あの人の落ち込んでいる姿を見て、
いてもたってもいられない、という自分世界を体験することで、
自分の中では、落ち込む、という自然な感情が禁止された、
恐怖政治のような世界にいたことを知る。
そして、自分の世界の中に、落ち込むのも、感情の自然摂理、
いいじゃないか、という解放運動への取り組みが始まる。
昔の人の知恵、格言・ことわざで言うと、
「人の振り見て我が振り直せ」
がある。
でも、一歩間違うと、この言葉、
微妙にニュアンスが恐ろしく変わるような気がして、
ちょっと慎重に考えてみたら面白かったので、
シェアします。
問題は、
この、「人のフリ見て」という所ですが、
人のフリ見て、
「私がどう見られているか」
に気づくと、
自分へのダメ出し、自分責め、罪悪感、恥の意識、、と、
恐ろしく恐怖な意識から、私のなりふりを正そう、、
というルートに、どうしても行ってしまう。
これでは、自分の世界をがんじがらめにして、
どんどん身動きの取れない状況に追いやられてしまうのも、
時間の問題です。
そうではなくて、
人のフリ見て、
「私がどう見ているのか」
に気がつくと、
対人関係を通して、自分の物の見方、常識、前提、価値観に気が付き、
主体的な選択、内発的な動機から、私を正していこう、
というルートに路線変更できます。
すると、自分を制限して縛り続けていた重たい鎖を外し、
どんどん、自分の世界が自由になって、
生きるのがかるーく、楽ちんになります。
人の振り見て我が振り直せ、
って言葉、なんか、怖いな、
と思ったら、そういうことだったんんだな、
ほんとはやさしい「人の振り見て我が振り直せ」
朝から一人、勝手に納得していたのでした。