専門家は悲観論を語り、当事者は楽観論を語る
警告的でネガティブで、
合理的なややこしい論を展開した研究者も、
自らが当事者となってみると、理屈やネガティブな語りでは、
人は生きていけないと、どこかで悟るらしい。
当事者、という体験は、
仮想の理論や研究や実験という次元とは、
位相自体がまるっきり違った体験なのだろう。
しかし、専門家が下手にポジティブで楽観的だと、
嫉妬されて怒られるから、
ポジティブな人は、こっそり楽しんで、
隠れて潜んでいるから、あまり表に出ない(笑)
で、自分が当事者になった時に、
ようやく語りだす。
うつになった精神科医が本音を語りだし、
がんになった外科医が本音を語りだす。
自分は当事者なんだから、
もうポジティブでも怒られない(笑)
当事者の方が思想的に自由だ。
だから、
専門家は、悲観論を語り、
当事者は、楽観論を語る。
メディアに出ている
社会情勢の専門家、評論家たちが、
不安をあおるネガティブムードなのも、
これと全く同じ理屈じゃないかな?
専門家はみんな、気難しい顔をしているだけで、実は、
「怒られるのは、ヤダもーん!」
σ(^┰^)) べろべろベー!
って、頭の中で、舌を出している(笑)
って、想像してみたら、どうだろう。
そして、本当のことは、言わない。
言えない。
そんな脳内事情を知らない真面目な人ほど、
ネガティブ情報を真に受けてしまって、
恐れの世界から出れなくなってしまう。
本当のところがわからなくなって、
安全な世界線から遊離してしまうのは、
正直者が損してると思う。
メディアに出てくる評論家の堅い顔に惑わされて、
平和で楽しい世の中を享受できないのはもったいない。
親や教師や権力者たちもそう。
怖い顔、悲しそうな顔をして、
来たるべき危機に備えるように言うけれど、
実は、全然だいじょうぶ、
ベロベロベー、って内心思ってるかもよ(笑)
σ(^┰^)) べろべろベー!
怖いニュースばっかりだ、悲惨な世界なんだ、、
と思っていたのは勘違いで、
実は、平和で安全な世界だった。
としたら、これは良いニュースだと思いませんか。
気づいた人たちはもう、
こっそり自由を楽しんでいる。
正直者たちも、
もっと自由を望んでいい。
え??
まだ、ピンと来ませんか?
じゃあ、これ、
子どもでもわかる、誰もが知っている、
こんな日本昔ばなしがありましたね。
「飴は毒」、和尚と小僧の小話。
世界や権力や体制の不正や不誠実を暴いて、非難することは簡単です。
でも小僧たちがしたことは、戦わずして、
しかも美味しいとこだけ持っていくという悪知恵です(笑)
これは、西洋のストーリーにはあまりない味わいではないでしょうか。
日本人の恥の社会と罪悪感の文化を、子どものこころで、あるがままに、深く受容した上で、だとしたら、どう賢く生きるのか。
日本の昔話しの知恵は、ほんとに深い。
飴は、子どもが食べると、毒。
まぁ、親心としたら、それも愛情だと、
分かりますけどね。
高尚な和尚の話を、
大人になってまで、
真に受けていませんか?
でも、それ、怖い毒ではなくて、
甘い飴かもしれませんよ。
世の中を嘆いたり、憤ったりしている暇があれば、
賢く飴をいただいてしまう知恵を見習いたいものです(^^)