当事者の語る言葉から学ぶ(後編)
診察室で自分体験の当事者さんが語る、本当の言葉たち。
患者さんは、自分がどんだけいいこと言ってるか、
わかってないみたいから、僕が、かわりに取り上げます(笑)
続けて、シェアさせてもらいましょう。
自宅療養中の人、
体力面で落ちているので、
体力面でのリハビリが必要と思う。
後は仕事で回復と思っている。
そうなんですよね、主訴はほぼ改善してきた。
もう弱音や泣き言も出し尽くした。
自己否定もやめた。
そこからがリカバリー、
社会復帰の折り返し地点です。
さて、何が必要か。
体力ですね。
「回復してから仕事」ではなく、
「仕事で回復」とは、なるほどです。
ぼーっとする時間を作って、
あんまり人の波に巻き込まれないようにしたいなと。
人よりも自分を優先しようかな。
今までのやり方なら、また潰れてしまうと思う。
このひとも、世界に合わせていた自分から、
自分に合わせて世界を創っていかれるのですね。
ボーッとする時間。
自分に戻る時間を確保するのを、最優先にしたいですね。
しんどい時は、マイナス要素しか考えないね。
いや、今もそうですねんけどね(笑)
前と違うのは、原因もわかってるし、
気持ち的にそうなっても、また戻ってこれるという、
自分への声掛けができるようになっていることかな。
不安、いらだち、落ち込み、マイナス思考、
前は自分の感情自体に翻弄されて、恐ろしかった。
いまは、自分の感情として、取り扱いがわかっているんですね。
自分との付き合い方、参考になります。
しかし、こころの病気ってのは、
命は取られへんけど、、、
命取られるより、しんどいね。
たいがい、何があっても大丈夫やけど、
得体が知れないから。
こちらの方は、もともと心身ともに屈強で、
体育会系の人です。
どんな苦労にも対処してきたという自信があります。
でも、うつのつらさだけは、もう、二度と味わいたくない、と。
激烈なうつ状態のことを、インフルエンザの時のしんどさと似てる、と表現される方がいます。うつだと思ったら、熱中症で、そのしんどさと区別がつかない人もあった。
バイタルサインや採血データは異常ないのに、インフルエンザや熱中症クラスの苦しみだけあるとしたら、まさしく正体不明の恐怖ですよね。
これは、僕も勉強になりました。
ちなみに、初めて出会う頃の患者さんたちは、心細く、依存的で、意思が弱くて、頼りなく見えます。
しかし、それは患者さんの本来の姿ではなく、病がそうさせていたんだなと、回復してきた時にハッとさせられる。
偉そうにアドバイスしていた自分が、恥ずかしくなる。
僕よりずっと強くて、しっかり者になられるのだから(笑)
なにがあかんのか、
考えるのをやめようかな。
一回、ほっとこうと。
考えるのやめて、まかせようか。
原因とか、どうでもいい。
原因を考えれば、解決策がわかる。
と、学校では理論的思考を習いますが、これが脳のバグを引き起こす。
考える意識は5%。考えるのをやめても、無意識の95%は働いている。
個人の知恵では計り知れないところで、すでに精巧に働いてきてくれて、今があるのだから、それに「まかせる」と、うまくいく。
直感が、そう言っているのでしょうね。
薬なくても、悩める。
どうして、お薬減らしたいんですか、と、聞いたら、
薬がなくても、悩める、と、おしゃられるんですよ(笑)
これは、名言がでました!
しんどくて悩んでお薬の治療を始めた。
でも、今も悩んでる。悩めるんだ。
患者さんたち、
自分がどれだけすごいこと言ってるか、
わかってるのかなぁ(笑)
いや、その時、その瞬間は、
わからないからこそ、
しっかり味わえるのだろう。
言葉は後からやってくる。
ということは、、、
当事者体験から得られる知恵は、
いま、言葉にしようがないくらい、
しんどい中にいたとしても、大丈夫!
それ、宝物だから。
ということではないでしょうか。
その時には、どんなに苦しくて、
もう行き詰まりだと思っていても、
実は、それが宝物であったと、
後に語られる日が来るということが、
共通しているようです。
これは、信頼したいですね。
当事者は、自分の体験から自分が自分の第一発見者になる。
支援者は、その当事者の言葉から学ぶ。
でもここで、よく勘違いしてしまうのは、
これらの言葉を方法論として真似しようとすることです。
言葉は、口から外に出てしまうと、
個体化し無機化する性質があると思うのです。
自分という当事者体験は、言葉にはならないはず。
これそのもの、そのまんま、いまここにいるわたし、
そんな感じ。
言葉にできない自分だけの世界に
徹底的にとどまり続けている時に、
じわっと溢れ出てくるのが、
本当の言葉だと思うのです。
当事者の語る言葉から学ばせてもらっているものとは、
方法論とか、目指すべき考え方とかではなくて、
体感として「人生を信頼すること」を、
味わえることが、一番の学びなんだと思います。