めちゃくちゃがんばるシリーズ⑥【望まない現実編】
がんばらないをがんばってます、
っていう患者さんの話しに感動して、
思ったのだけれど、
がんばることは、
本当の自分が望むもののために、
自分の意志を貫き通すことだなぁって。
誰かの価値観ではない。
誰に何と言われようと、世間にどう見られようと、
内なる本音の自分が、切実に望んでいること。
その自己一致が、本気でがんばるための条件だと思いました。
じゃあ、本当の自分の願望を知るには?
私たちに何が本当の望みなのか、を教えてくれるのは、
一番苦しくて絶望でどん底の、その底辺に足が着いた時。
あきらめざるを得ないくらい現実を受け入れた時、
なのだと思いました。
本当の自分って、なんだ? と、
あれだけ探しても探しても見つからなかった、
本当の自分の願望が、ここに自然に浮かび上がっている。
望まない現実があって、初めて望む現実がわかる。
そして、その願望を手に入れるために、
もう、言い訳も、弱音も吐いている時間も、
誰かのせいにして復讐しているエネルギーさえも、
もったいないわ!と思うくらいに、
ただ、いまの自分にできることを、
全力で行動に移して行くことを、
自分の意志で選ぶようになっている。
世間体なんて、どうでもよくなる。
意識でいくら決意しても、腹をくくれなかった、
本当の自分の選択が、自然に立ち上がっている。
どん底までたどり着くと、
人は本来の自然にがんばるしくみが働き出すように思う。
診察室では、そんな大きな流れの中にいる人に出会う。
患者さんは、何かを求めて、
ものすごいエネルギーを出している人。
望まない現実の中で、
より良く生きたいという願望は、マックス。
本当の願望に気づく転機。
望まない体験だけど、その人にやってきた貴重な試練。
ある意味、僕は羨ましいのかもしれない。
もちろん、患者さんにそんなことを言おうものなら、
ボコボコにされるので、(←冗談です、念の為)
ぼくのこころの中の密かな気づきに留めて置くけれども。
神は乗り越えられる試練しか与えない、
と言う。
昔、テレビドラマ「JIN-仁-」の中で、
大沢たかおさんが、そう言っていたから間違いない(笑)
いまの自分には絶望としか思えない状況も、
いつかがんばった経験として語れる日がくる。
人は、がんばるときには、
がんばるようにできている。
自分が本気でがんばることは、
きちんと絶望できることと、
表裏一体なのかもしれない。
めちゃくちゃがんばる論①:人の潜在能力は無限
めちゃくちゃがんばる論②:全集中感覚
めちゃくちゃがんばる論③:内発的動機づけ
めちゃくちゃがんばる論④:前向きな願望設定
めちゃくちゃがんばる論⑤:世間体を突破する
めちゃくちゃがんばる論⑥:試練は乗り越えられる