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壊された城壁を直すのは誰か

 日々聖書を読むガイドとしてみことばの光を使っている方は、今ネヘミヤ記を読んでいますよね。エルサレムがバビロンに破壊され、捕囚で多くのイスラエル人がバビロンに連れていかれました。ネヘミヤ記は、その後バビロンを滅ぼしたペルシャ帝国の王に仕えるネヘミヤが、王の許しを得て、エルサレムを再建する話です。
 この話も、多くの示唆があると思いながら読んでいます(斜め読みスンマセン)。というのは、私がカウンセリングで扱うのは、心の壁を修復するのを手伝うことだからです。
 幼い頃から親に踏みにじられ、征服されて育った人は、ぐちゃぐちゃにされたエルサレムで育ったようなものです。性暴力に遭った人は、いきなり敵が攻めてきて城壁を壊され、街も壊されたようなものです。つまり、生活がめちゃくちゃになるのです。

 私は昔、家に泥棒に入られたことがあります。窓ガラスを割られ、侵入されました。幸い、盗まれたものはありませんでした。警察が来て、粉を叩いて指紋を集め、あちこち調べていきました。粉は拭き取ってもらえましたが、ガラスの破片を掃除したり、部屋を片づけるのは自分たちでやりました。掃き出し窓だったので、大きな窓ガラスを買い直すのは、当時夫が神学生で貧しかった私たちには大きな痛手でした。
 被害者なのに、壊されて、侵入されて、傷ついたのは私なのに、どうして私が片づけて、お金を払って、元通りにしなければならないの?私はそう思いました。犯人は捕まっていません。

 実はこれは、カウンセリングでも時々聞かれる言葉です。壊されて、侵入されて、支配されて、傷つけられて、ぐちゃぐちゃにされたのに、加害者は何もなかったかのように暮らし、被害者である私は、廃墟になった心の中で、呆然と時間が過ぎていく、それが受け入れ難い、加害者に元通りにしてもらいたい、と。なぜ私が廃墟を片づけて、もう一度自分の心を立て直さなければならないんだ、と。

 今回は、このテーマで、少しでも慰めや励ましになればと思いながら書きます。しかし、やはり厳しいことも書くので、覚悟をしてお進みください。

【目次】
◇壊されるとき
◇なぜ、自分で片づけなくてはならないのか
◇再建を拒む人たち

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3,072字

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