万紀子
牧師の妻という立場から見た教会を、カウンセラーとしてクライアントさんから聞いた危機的教会を、企業コンサルの目線で分析し、心理カウンセラーの知識で原因と解決を導き出すチョー辛口マガジンです。書籍化は一切考えておりません!だってヤバイこといっぱい書くもん。棺桶から出てくる教会が増えることを願いつつ。
旧約聖書の中に、土地をイスラエル民族が占領するとき、先住民を人間のみならず家畜持ち物全部根絶やしにしなさいと神様が「聖絶」をお命じになる場面があります。時々、聖絶してしまうのを惜しんで、自分のために取り分けて隠す人が出てきて、その人が見つかって「聖絶」されちゃったりします。 私たちクリスチャンは、時々「聖書の神は残酷で、人を怒りで殺したり、聖絶を命じたりする。どこが愛なのか」という疑問や批判をぶつけられます。クリスチャンの方はこんな時、どう答えていらっしゃいますか。 いろいろ
パワハラ、モラハラ、いじめ、などなど困難に直面した時に、どう信仰を働かせたら良いでしょうか、といただいたので、お答えしようと思います。 【もくじ】 ◇神様はどんな方? ◇刈り取りか、試練か ◇心の姿勢のあり方
①ハンナのしつこい祈りは神様への境界線侵害となりますか ②アブシャロム妹のタマル、ディナ、バテシェバが受けた性暴力に対し教訓としてタマル、ディナ、バテシェバにも落ち度があった。ディナは1人で歩き回るから、バテシェバはそんなところでお風呂に入るからだ。と言われることがあります。その解釈を聞く度にセカンドレイプのようで胸が痛みます。この聖書箇所は女性へ何を教えてくれるものでしょうか と質問をいただきました。 お答えしていきたいと思います。 【もくじ】 ◇しつこい祈りは境界線
質問をいただきましたので、それにお答えしました。質問は以下の2点です。 サムエル記のダビデとヨナタンについて伺わせてください ①ダビデがサウルから逃げている時サムエル記では神様がダビデをサウルから見つからないように守っていると書かれていてダビデも何度も危うい中サウルから守られてサウルからは見つからないのにヨナタンからは見つかってヨナタンに励まされていたりするほど不思議にサウル陣からだけ見つからないのにダビデは怖がってペリシテ人のなかに入っていったりしているのですが、詩篇
リクエストをいただきました。『寂しい』『人肌恋しい(多分性的な必要)』を満たしたいけれど、それを願っても良いのか、どうやって叶えるために動いたら良いのか、というものです。この答えが必要だろうな、という方の顔が数名思い浮かびます。幸せになるために、まず自分の内側を整えましょう。 【もくじ】 ◇欲しいものを手に入れるためにはまず神様との和解が必要 ◇自分と同じレベルの人とマッチングする ◇自分を預けるのと共にいるのは違う ◇神様の願い
リクエストをいただきました。助かります!イップスの原稿で頭が占められていて、お題をいただければ頭の引き出しを開けて出せば良いのですが、たくさんある引き出しのどれを開けようかと考えるのが負担なのです。ありがとうございます。 =========================== 聖書では自分から湧き出る他者や社会に対する『怒り』や他者から向けられる『怒り』に対してどう対処するのが良いとしているのか、ブログやnoteのテーマで取り上げて頂けたら幸いです。 種蒔きと刈り取り
依存についての記事3つ目です。これが一番難しいところですが、今回はすでに依存してしまっているものをどう断つかです。 こちらの記事は、オンラインサロン「万紀子先生のオトナの保健室」でシェアされたコラムです。入会すると、月に2回第2、第4火曜日に、コラムを発行します。1カ月経つと、過去記事を消去してこちらのnoteで有料で公開いたします。オンラインサロンへの入会の仕方は→リンクをご覧ください。https://ameblo.jp/kamisamanorule/entry-126
前回は①なぜ依存してしまうかを考えました。今回は②依存しないためにを考えましょう。ちなみに次回は③依存をやめるためにです。依存しないためにと依存をやめるために、同じようですが、今回の依存しないためには、これから依存をしないためにで、依存をやめるためには、すでに依存しているものから離れることを考えます。 こちらの記事は、オンラインサロン「万紀子先生のオトナの保健室」でシェアされたコラムです。入会すると、月に2回第2、第4火曜日に、コラムを発行します。1カ月経つと、過去記事を
今回はリクエストいただいた依存をテーマに書いていこうと思います。かなり大きなテーマなので、続くと思います。今回は、なぜ依存してしまうのかについて考えましょう。 こちらの記事は、オンラインサロン「万紀子先生のオトナの保健室」でシェアされたコラムです。入会すると、月に2回第2、第4火曜日に、コラムを発行します。1カ月経つと、過去記事を消去してこちらのnoteで有料で公開いたします。オンラインサロンへの入会の仕方は→リンクをご覧ください。https://ameblo.jp/ka
万紀子先生のオトナの保健室、いつもテーマに頭を悩ませております。引き出しはいくらでもあるけれど、メンバーの皆さんが何を必要としているかが分からないから。なので、リクエストをいただけると、とても喜びます。今回は、テーマちょうだいいいいいいと泣きついて、考えていただきました。「うまく周りの人に頼る人になるために」。ああ、そういえば最近立て続けに「頼れなくて潰れるまでがんばってしまう」ご相談をカウンセリングでも受けていたわ!というわけで、今回はこのテーマにします。 こちらの記事
あけましておめでとうございます、はもう過ぎましたかね。今年もよろしくお願いいたします。さて、今年最初の記事は、計画したことを実行するために、自分にお膳立てをしてあげる、です。お膳立てしなきゃできないのかよ、と思われるかしらん。はい、私は、お膳立てしてあげなきゃ計画が流れる人です。 なぜお膳立てしなきゃ流れてしまうのか、から、どうやって実現まで持っていくかについて書いていきますね。 こちらの記事は、オンラインサロン「万紀子先生のオトナの保健室」でシェアされたコラムです。
note何書こう…と困っていましたら、リクエストをいただきました! ================= もしテーマまだでしたたら、愛するは感情でなく行動という所詳しく教えて頂きたいです…! 相手にとって良いことをする=愛なのは納得なのですが、そこに感情(気持ち)が乗ってないと、受け手側としては「嫌ならいいよ…別にそこまで求めてないよ…」って逆にげんなりする時もあるなかと思い… あと、行動はあってもあまりにもその個人への興味関心が「無」の場合だと、ロボットがするのとあんまり変
今回は、リクエストをいただいたので、神様のルール、摂理について書いていきます。摂理は、難しい言葉ですよね。調べると世界を統べ治められる神様のご意志、恩恵とありました。この世界には一定のルールがあって、それに従って回っているように思えます。そしてそのルールのコンセプトに当たるのが摂理、と言えるのではないでしょうか。まぁ、これを言っちゃおしまいなんですが、神様は愛であられ、被造物は全て愛すれば幸せになるように設計されています。これが全て。でも今日讃美歌を歌っていて「神の深い愛〜
今回は、マタイの福音書7:12「ですから、自分にしてもらいたいことは何でも、あなたがたも人に同じようにしなさい。」(新改訳2017)について解説してほしいとリクエストをいただいたので、お答えしようと思います。 【もくじ】 ◇聖書と抽象度の話 ◇立場をひっくり返して考える ◇人は鏡
私のところにご相談に来られる方の中には、カルトの教会から逃れて、傷だらけでボロボロになって、回復のためにいらっしゃる方や、未熟な指導者の元で、ご本人の賜物や事情も考慮されずに奉仕を振られて、疲弊して弱っていらっしゃる方が見られます。あるいは、教会内でどの奉仕をするかによってヒエラルキーが生じ、目立つ、ヒエラルキーで上になれる奉仕ができないなどと悩む方もいらっしゃいます。 今回は、神様を第一とすることと、教会を第一にすることの違いを整理して、生きたクリスチャンが生きた教会
この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。 ローマ人への手紙12:2 私はこの箇所が好きです。会う人皆に「普通じゃない」と言われる私は、この世と調子を合わせられない人間です。しかし、普通じゃない私をデザインされたのは神様ですから、そのデザインに沿って生きる時、この世と調子を合わせなくても、神様が創造された世界と