牧師なのに!クリスチャンなのに!と腹が立ったり傷ついたりしますか?
カウンセラーとしてクリスチャンの方々のお話を伺うと、「牧師なのに」「クリスチャンなのに」あんなことをするなんて、こんなひどいことを言うなんてなどの叫びが聞かれます。
傷ついたのは事実です。癒しが必要です。それと、「誰が」傷つけたのかや、「そうあるべきじゃない」との思いは、分ける必要があります。実は、「牧師なのに」「クリスチャンなのに」と思うのは、裁きなんですよ。イエス様は「裁いてはいけません」とおっしゃいましたね。盗みや性的な罪と同じく裁くのもしてはいけないことです。性的な罪を犯した人を指差して裁く人も、同じく罪を犯している真っ最中なのです。私もよく言われましたっけね、「牧師夫人なのに」と。
今回は、「裁いてはいけません」とのみことばにどうすれば従うことができるか、傷つけられた事実とどうやって分けるのか、見ていきましょう。
【目次】
◇なぜ裁いてしまうのか
◇裁かないためには
◇ イエス様が裁いてはいけませんと言われた意図
◇ 裁きとゆるしの関係
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