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救われた後の生活に解決を持っていますか?

 イエス様を神様として受け入れて信じ、信仰告白をして洗礼を受けた後…が長いですよね。というのは、イエス様が「見よ。私はすぐに来る」とおっしゃって天に昇られてから、イエス様がもう一度来られるまでに、ひとりでも多くの人に伝えなければ!という弟子たちの情熱により、迫害もものともせず、全世界にキリスト教が広まりました。

 今か、今か、と待ち続けて、2000年も経ってしまいました。

 最初の頃は、信じてすぐにイエス様が来られるかもしれない緊張感がありました。しかし、再臨はありませんでした。教会は勢力を広げるために、各地へ出向いていき、孤児院や学校を立てるといった慈善事業を通して信仰を述べ伝えました。貧しい人は食べ物がもらえたり、学ぶことができるメリットに惹かれ、キリスト教を受け入れました。まだ、再臨はありません。

 だんだん社会が成熟してきました。以前は教会が担っていた弱者の救済は、社会が担うようになりました。日本では義務教育が敷かれ、生活保護や児童相談所、各種支援が設けられ、教会よりもガイドラインがしっかりした、専門家が監修した事業になっています。まだまだ改善の余地があるとはいえ、もう教会の出番はあまりありません。

 教会も経済的に力を失いましたから、施しをしたり、貧しい人を助ける力がありません。キリスト教系のNPOががんばっているのは知っています。尊い働きです。しかし、多くの教会は、慈善事業をする余力がなく、信仰を守り、細々と伝道しています。

 慈善事業ではなく、でも、人が教会に来てくれるように、次に宣教師たちは、「お世話ともてなし」をするようになりました。おいしい食事や英会話で教会に来ませんかと誘いました。今はコンサートなども開いていたりしますね。教会に足を踏み入れるハードルを低くするのには良いと思います。

 さて。新しい人を誘い、救いの喜びを分かち合い、教会生活を送る他に、日常生活があります。日曜日に教会の皆さんと賛美して礼拝して楽しい!新しい人に出会えるのも楽しい!…もちろんそれも良いと思います。でも、それで良いのかな、と疑問を持つこともあるのです。今回はそれについて書いていきます。

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