神は傍観者か助けてくれる味方か
クリスチャンのカウンセリングをしていると、悲しく傷ついた状況によって、神様像に歪みが生じてしまった状態をよく目にします。
先日カウンセリングをした方から、感想のメールが届きました。
下のメールは、ブログやSNSで紹介しても良いか伺ったことへの返信です。
カウンセリングの最初、この方は、「神様はあなたを愛しておられることに疑いはありませんか」という私の質問に、はっきりと「はい」と答えておられました。
(うーん。その割に置かれている状況がつらいなぁ)と私は思っておりました。
しかしカウンセリングが進むうち、「神様は傍観者で助けてはくれない」という神観が心の奥底から出てきました。
「これだ!」と掴んで切り離し、カウンセリングを終えた後にいただいたメールが最初に紹介したものです。
聖書には、神様は愛であると、あなたを愛してやまず、あなたのためならなんでもしてくださるおつもりのある方だと繰り返し書かれています。
しかしクリスチャンの中には「他の人のことは愛しているかもしれないけれど私は例外」「神様は一匹の羊を探しに行くけれど、囲いの中にいる私のことは平気で置いていく」「神様は冷たくて厳しい」などなどと思っている人がたくさんいます。聖書を読んで頭でわかっている神像と、潜在意識(無意識)が形作る神像に矛盾がある状態です。
RCメソッドのカウンセリングでは、知識と心を一致させ、神様の愛を受け取れる状態を作ります。
本当は、思うたび嬉しくて涙が出るほどの愛。
ちゃんと受け取っていますか。