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父の選択肢は『正社員』の一択のみ
こんにちは、ステラです!!
この記事を書いてるときは
大寒波がきていたときでした。
雪も久しぶりにみることができて
寒いながらも雪はなんだか癒される。
背筋も凍るくらい寒いけど
外にでてみると早速
雪だるまと出会うことができました。
わたしの感じ方だけなのか分かりませんが
適応障害になってから
一つ一つのことに対して
特にほっこりしたり癒されたりすること
こんなにもたくさん身近にあったんだと
気づかされることが多くなりました。
仕事人間でバリバリ働いてた頃は
雪だるまを見てもきっと
たいした感情がわくこともなく
季節なんて関係なくただ目の前の
仕事を片付けることのみに
時間を費やしていた。
そう考えると私もその頃は
父が思うように『正社員』こそが
世の中の正解の働き方と
思っていたのかもしれません。
父から学んだこと
そして私は違う道を選んだ
「お父さんは、ずっと同じ会社一筋で
働いてきたんだぞ。」
このセリフ、何度聞いただろう…。
まるで勲章のように語る父の姿が、
今も頭に浮かびます。
私の父は、高校を卒業してすぐに
一つの企業に就職し
定年までその会社一筋で
働き続けました。
いわゆる「昭和のサラリーマン」と
いうやつです。
毎朝、まだ外が暗いうちに出かけていき
帰ってくるのは夜遅く。
背広姿のまま
疲れた顔で玄関を開ける父の姿は
私にとって
「お父さんってこういうもの」と
いうイメージそのものでした。
早朝から残業しまくり深夜に帰宅。
丸1日父の顔を見ずに終わることも
しばしば…。
「お父さんは家に帰ってきてるの?」
そんなことを母に聞いたことが
あるほどです。
休日だって、家にいても会社からの
電話が鳴ればすぐに出かけていく。
家族旅行なんて、
年に一度行けるかどうか。
いつも「仕事、仕事」でした。
それでも、父は愚痴ひとつこぼさなかった。
クレーム処理の配属の時は
嫌な客にも頭を下げ続け
仕事だから当たり前だと。
きっとたくさん一人で抱えて、
我慢していたのかもしれません。
「家族を養うためだ」
その一言で、すべてを語る人でした。
転勤、単身赴任
そして「働く」ということ
父の仕事には転勤がつきものでした。
大体3年おきに異動があり、
私たち家族もそのたびに引っ越し。
新しい土地で新しい学校に通い
ようやく友達ができて
「この街、楽しいな」と思った頃には、
また次の転勤の話が出てくる。
子供ながらに、なんとも言えない寂しさを
抱えていました。
「また引っ越すの?」
「せっかく仲良くなれたのに…」
でも、父は淡々と準備を進めていきます。
「仕事だからな」と、ただそれだけ。
やがて私たちが中学生、高校生と成長し、
義務教育を終える頃には、
父は単身赴任になりました。
もう家族を連れての転勤は難しい。
だから父は一人で知らない土地へ向かい、
仕事に打ち込む。
長期休暇の時だけ帰ってきて、
ほんの数日家族と過ごしたら、
また一人で戻っていく。
見送りのとき、
背中が少しだけ小さく見えたのを
覚えています。
「家族のために頑張る」
その背中から、
私は働くことの意味を学びました。
父の背中を見て思ったこと
父の働き方は、私にたくさんのことを
教えてくれました。
責任感を持つこと。
途中で投げ出さないこと。
家族のために頑張ること。
でも正直に言うと、
私は心のどこかで思っていました。
「お父さん、そんなに頑張って…幸せなの?」
毎日遅くまで働いて、
家族と過ごす時間もほとんどない。
休日も仕事に呼び出される。
そんな生活を何十年も続けてきた父の姿は、
尊敬すると同時に、
どこか切なく見えました。
それでも、父は胸を張って言うのです。
「これが社会人ってもんだ」
「仕事は大変で当たり前」
子供だった私は、
「そういうものなのか」と思っていました。
でも、大人になった今、
私ははっきりと言えます。
「私は、そんな働き方はしたくない」 と。
時代は変わった
でも、父の価値観は変わらない
今は、働き方が本当に多様化しています。
正社員だけが「安定」ではなく、
フリーランス、副業、在宅ワーク、
コンテンツ販売…
いろんな働き方が当たり前になりました。
だけど、父の価値観は昔のまま。
もし私が父に今の仕事を話したら、
どんな顔をするでしょうか。
「コンテンツ販売をしているんだよ」
なんて言ったら、
きっと眉をひそめるはずです。
「そんなの仕事って言えるのか?」
「ちゃんと会社に入って働いた方が安心だ!」
「今すぐ、仕事を探しなさい!!」
うん、絶対こう言う笑。
想像できすぎて
思わず笑ってしまいます。
でも、私は思うんです。
「本当に“会社にいること”が安心なの?」
ひとつの会社にしがみついても、
突然倒産することだってある。
年金だって、将来ちゃんともらえる
保証なんてどこにもない。
むしろ、不安定なのは「安定」と
呼ばれていた働き方のほうかもしれない。
私が選んだ道
私は正社員として
長く働いてきました。
朝から晩まで、同じ時間に出勤して、
同じデスクに座って、
同じ顔ぶれで仕事をする。
上司の顔色をうかがいながら、
やりたくない仕事にも耐えていました。
その結果、適応障害になりました。
「もう、無理だ…」
心も体も限界でした。
そこから、私は新しい働き方を
探し始めました。
そして出会ったのが、
コンテンツ販売という道です。
自分の経験や知識を発信して、
誰かの役に立つ。
好きなことを仕事にできる。
場所や時間に縛られない。
もちろん、楽して稼げるわけじゃありません。
SNSでは「簡単に稼げる!」
なんて言ってる人もいるけど、
実際はみんな裏で必死に努力しています。
知識にお金を投資して学ぶ。
毎日コツコツ継続する。
失敗しても諦めない。
実績のある人たちは、
表には見えない努力を積み重ねているのです。
父の働き方を否定しない
でも、私は私の道を行く
父の働き方を否定するつもりはありません。
むしろ、心から尊敬しています。
ひとつの会社で何十年も働き続け、
家族を養い、責任を全うする。
その姿勢は本当にすごいことです。
今の時代、そんな働き方ができる人は
少ないでしょう。
でも、私にはその道は向いていなかった。
だから、私は違う道を選んだだけです。
転職も当たり前の時代。
副業も普通のこと。
フリーランスも立派な仕事。
私たちは、もっと自由に生きていいんです。
自分で選んだ道を歩くこと、
それこそが「正解」なんだと思います。
もし父に今の私の働き方を話したら、
きっと言うでしょう。
「そんな働き方、不安定だぞ!」
「安定した会社に入れ!」
でも、私は胸を張って答えます。
「私は、私の人生を生きているよ。」
父から学んだ「責任感」は、
私の中にもちゃんと根付いています。
ただ、その責任の持ち方が父とは
少し違うだけ。
どんな働き方でも、努力は必要。
どんな人生でも、選んだ道を
正解にするのは自分自身です。
私は今日も、自分の道を歩き続けます。
父の背中を思い出しながら、
私なりのやり方で。
あなたの中の「正解」は
一体なんでしょう。
適応障害だって
忙しいママだって
副業として稼ぎたい人だって
いろんな形で「正解」は
導き出せるはずです。
私が導き出したのは
「コンテンツ販売」ということ。
そして「コンテンツ販売」を通して
やりたいことや挑戦したいことも
見つかって意欲がわいた。
人生ってアラフォーからでも
ワクワクするし
やりたいことするのに年齢は関係ない!!
そう思って私は「正解」を
進んでいます。
そんな私が飛び込んだ
コンテンツ販売という働き方の選択肢を
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