持論と自論

「これはさ、おれの持論なんやけど〜…」
自分の口が偏った意見を言いそうな時に、保険をかける事がある。
「こいつはなんて周りの見えていないやつだ」と思われないための、ビビり性根ならではの術なのだが、「はっきりしてくれよ!!!」と思われないかなと、両天秤に不安の重さが釣り合ったまま喋り出す。なんの意味もない、保険。

そんなこんなで今日も喋り出す。
「まぁ言うてもおれの持論なんやけどさー」
自分は言葉を発す時に、頭の中で文字を起こしながら話すことが多い。なんでかは分からないが、分からないならカッコいい理由でもつけておこう。
「文字を起こしながら喋ると、まず噛まずに喋れるし、話の最中、辻褄が合わない時に違和感を掴む事ができる。だから綺麗にまとまった話ができりゅのでぃ…」
噛んだしもういいか。なんの意味もないけど文字を起こしながら喋る。少し丁寧に喋れることくらいかな、利点は。いや、そもそもみんなそうしているかもしれないのに、自分だけがそうしているみたいな入り自体が間違っているのでは。

「おれの持論なんやけどさー」
今日も無事喋りながら文字に起こしている。
……ん…
だがしかしなのですな。いっつもこの言い訳保険のサビの部分で引っかかる。

"持論"って、"持論"で合ってる?

ほーら。違和感に気づくじゃん。文字に起こしててよかったじゃん。発音は同じだから気付いても意味ないじゃん。うるせーじゃん。

漢字の話ね。
タイトルにもあるが、"持論"の他に"自論"がある。これが"雨"と"飴"くらい仲違いなら僕の相手にもならないが、"二郎"と"次郎"くらい仲良ししちゃっており、ペアルックと言わんばかりに意味も揃えてきちゃってるのでややこしい。

ちなみに、書く時は"自論"で書く。問題なのは、頭で文字を書き起こしているその時、"持論"が出てくるのだ。だからややこしい。どっちが正しいのかもう気になって仕方がない。

ちょっとまった。そこの賢い人たち。まだ教えるな。漢検を履歴書に書くんじゃない。見せてくるな。僕が自力でペアルックの服を引き裂いてやる。

よし。自力で、いつもそこに温もりがあれば安心するという左腰ポケットに手を突っ込む。自力でその依存対象をポケットから抜き取り顔の少し斜め下まで持ってくる。そして、自力でGoogle先生にお願いします。

「持論」と「自論」の違い
「持論」は自分の主張という意味なのに対して、「自論」の方が控えめな表現で、主張するということでなくても心の中に思っているだけの自分の考えのことも含んでいる、ということです。


同じやないかい。いちいち分けんなあほんだれ。
いや、違う事はわかっている。違う事はわかっているが、居酒屋の囁かな談笑の前でこのようなニュアンスの違いでの使い分け、無に等しい。
"自論"の方がちょっぴり優しそう。ただ分けるほどでもない。私に違和感で苦しませるほどの力なんて君たちにはない。

深く調べれば、"持論"が正式で"自論"は造語だとかゴダゴダ並べられてはいるが、もうそんなことはどうでもいい。ここに書いていられない。"持論"でいいのだ。自分の主張を厚かましく押し付けるやつでいいのだ。

ただ結果的に、心のモヤモヤが一つ消えた。些細なことではあるが、これから自分の意見を厚かましく押し付けるような場面に遭遇した時、僕の顔はいつもより清々しさが乗っかり"持論"を淡々と語り散らかしているだろう。滑り出しから悩んだ顔のやつが言うより、なにかと納得できそうだ。
これだから、日本語はおもしろい。

ほら、こうやってnoteで記事にして悩みやモヤモヤを解消する事ができるんやで?自分の感情を文字にするって、こんなにも人生を豊かにするんやで?毎週日曜更新って決めててちょっとオーバーしたけどサボらんくらい好きなんよ。やってへん人の気が知れんわ。ほんまにやった方がいいよね。noteに感情をぶつけてみるべきよ?



言うてもおれの自論なんやけどさ。


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