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人間関係とは糸のようなもの。信じる難しさはこう考えよう

こんばんは。人間関係について日々考えているぺいまると申します。

人間関係を考えるに至ったきっかけは二つあります。

1つ目は、私の過去にあります。
小中学生時代にいじめやら、ハブられやら、自分が当事者、被害者になることもたまにありましたが、それが蔓延っていたこと。

特に思春期は多感な時期のまっただ中とも言えますが、最低限自分が良い性格、良い思考を持っていれば起きなかった問題も中にはあります。

そう、人間関係における幼稚さが問題を引き起こしていたのではないかと考えるようになりました。

2つ目は、人間の悩みの大半は、人間関係の問題だから。です。TED 幸せ と調べると、出てくる動画の中で、大抵の問題は人間関係であると学術的に調査されているようです。

また、私のこちらの記事にもTEDのリンクがありますのでそこからどうぞ。

今回は、人間を「信じる」ことについてつらつら述べていこうと思います。

まとまりのない文章になっていたらすみません笑

信じることって本当に難しいし、例え直感で相手を信じようと思っていても、裏切られたときの悲しさは何回も心を苦しくさせます。
未だに慣れない。

突然ですが、糸は数本の繊維が編み込まれてできていますよね。

人間関係も糸のようなものと最近思うようになりました。

という話をします。

その繊維が人間の性格、一面(一本)だとします。
その糸は、本当にいろんな色で編みこまれています。

人間関係の数は自分が持っている糸の本数。

自分と、相手。
両端を2人で、持っているのです。

そして、その糸の見え方は自分と相手とは違う。
(それを一致させることが、価値観を合わせることにもなる)

相手との関係性の深さが、糸の強度。繊維の多さになる。

一方で、この人と離れたいと思った時、糸を持っている手を放して、その人間関係は終わりを告げる。

ケンカをしたとき、もう仲を修復できないとき、糸もぱちんと切れていく。

でも、どちらかが糸の欠片を持っていた時、再度、結びなおせばまた仲は続いていくのだろうなと。

話を「信じる」にフォーカスしたいと思います。

人を信じることができない状態というのは、糸の先の持ち主がわからない状態だと思うのです。

もしかしたら、先に猛獣がくっついているかもしれないし、好きな人が糸の先にいるかもしれないし。

その糸を持った以上、あとは、その先にいるなにかがなんであれ、手繰り寄せて糸を観察することが必要だと私は思います。(手繰り寄せる=会う、会話する)

もし、その糸に何か問題があったり、自分とは合わなかったら、その手を離せばいい。

自分は糸を持っていて、それを手放してもよいと思える覚悟ができて初めて、信じることができるのではないかと思うのです。


「信じる」ことについて、芦田愛菜さんも話していました。

その人のことを信じようと思いますっていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど (中略) 

その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と。

だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、
『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、

その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って

(後略)

芦田愛菜

自分も、この言葉を聞いてなるほどなと思うと共に、

そのような「期待」を無意識に相手にかけてしまっていたのだなとハッとさせられました。

人を信じるのが怖い。と感じるあなたにとって、

裏切られたのではなく、その人の違う面が見えただけ。
糸で言うと、自分には合わない色の繊維が見えてしまったのだと。

その色を完全に好きになることはできなくても、その色もあるんだなと受け入れること。

嫌いと突っぱねるだけでなく、その人の色の一部なんだと考えると、受け入れる器も大きくなっていくのではないでしょうか。

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