五七五が長過ぎる!?
最近、若い人たちの間では短歌がブームらしいです。身近なことや思ったこと感じたことを表現するのにちょうどいい長さですし、俵万智さんの『サラダ記念日』の新鮮さは、今でも人の心をとらえているようです。
ストレートに感情や出来事をを五七五七七の音律に乗せていく短歌の作り方は、日頃俳句の五七五になじんでいる身には、ちょっと羨ましい感じもします。
よく言われるのが、俳句の17音では短すぎて思ったことを表現できないということ。有季定型では季語が必ず入るので、ますます制約がある、と。
RCも初心の頃はそう思っていました。でも、季語の世界の魅力の方が大きかったので、俳句以外に手を染めることはありませんでした。
そのうち、10年くらいやってきてからでしょうか、この五七五が長く感じられるようになりました。
えぇ?と思われるかもしれませんね。でも、句友と話してもやはり同じ体験をしていました。
実は、五七五は長い。
俳句は言いたいことの焦点を絞れ、省略を利かせよ、とよく言います。それは五七五の短さゆえなのですが、それを心がけていると、今度は反対に五七五が長過ぎるのです。
具体的にパターンとして言うと、五七あるいは七五ができると、すでにそこに季語を読み込んでいる場合は、加えるべき言葉がなくなってしまうのです。
そこで、形容詞や副詞、オノマトペなどで豊かに表現しようとするのですが、ともすると締まりのない、ダラダラした句になってしまうのです。合評では、互選で取ってくれた人からは遠慮がちに、主宰からははっきりと指摘されます。作者としては、やっぱりなぁと納得します。
そんな時、俳句って深いなぁと感じます。推敲の面白さ、楽しさを堪能する瞬間です。
皆さんは、五七五が長いって感じる時、ありますか?
明日も素敵な季語との出会いがありますように。
RC