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Wi-Fiの電波がすこぶる悪い中で考えるデジタルデトックス

今までの記事の中で度々「2007年のiPhone発売でーーー」とか、「SNSの発展に伴ってーーー」とか書いてきた。あるときはポジティブに、あるときはネガティブに。そうした中で、本当のデジタルって何なんだろう、デジタルデトックスが流行ったりしてるけど、何の意味があるんだろう。といったことを、今現在我が家のWi-Fiが地獄の状態で考えていく。

先週の8日に日本科学未来館の「計算機と自然、計算機の自然」を見てきた。人類が生み出した英知の結晶であるコンピュータと、宇宙が生み出した神秘の結晶である自然についてを、今まで以上に考えていた。さらには、PLANETSさんで落合さんが連載されている「マタギドライヴ」を読みながら自然とは何なのかを考えていた。
今から約2年前に「デジタルネイチャー」という考え方に出会って、計算機と自然の関係について自分なりに考えたりしてきたけど、正直なところまだまだ全然分かっていない。もしかすると一生かけても分からないかもしれない。それでも未来を創る若者として、はたまたデジタルネイティブとしての責任として、デジタルとは何か、計算機とは何かを考えなければ行けないような気がする。

デジタルがもたらす恩恵はとてつもなくデカい。日々の生活のクオリティを底上げしてくれる。もちろんデジタルの無い世の中のクオリティがとてつもなく低いわけではなく、それはそれでとてもいいものではある。現にUターンやIターン等の地方移住が盛んになったりしている。自然に囲まれた生活というのも悪くはない。ただ、例に出したUターンやIターンでも、デジタルが発展しどこに住んでいても世界へのアクセスのしやすさが変わらなくなってきたことが、地方移住ブームの一助になっていることは否めないだろう。
日々の生活のクオリティを上げてくれるデジタルは、きっと世界の時間の流れも早めたと思う。農耕社会であった時代は、例えばエジプトならナイル川が氾濫すれば作物を植える時期が到来し、日本なら富士山の雪解けがどこそこまでいったら田植えの時期みたいに、相対的に非常にゆっくりと連続的に流れていた。現代社会では、1日を24分割し、スケジュールに沿って時間が流れていく。それも、デジタルが発展した今は数十年前と比較しても圧倒的に早く。
そして、流れる時間が早くなるにつれて、流れてくる情報量も圧倒的に増えた。全世界に容易にアクセスすることが可能になったことで、全世界から様々な情報が流入し、イーロン・マスクの1ツイートで暗号資産の価値が一瞬にして乱高下する時代になっている。

圧倒的物量で攻めてくる情報に対して、我々はそれを受け入れられるだけのキャパシティを皆が備えているかといったらそんなことはなくて、人によってはパンクしてしまう。僕自身も、大学1年の頃に情報に触れようと思ってNewsPicksの有料会員になって、最初のひと月くらいは楽しかったけど、2か月3か月もすると情報に溺れてしまってわけがわからなくなるということは経験した。人類が生まれてまだ400万年くらいしか経ってなくて、生物史全体を30cm定規に見立てて考えたら1mmもないんじゃないかみたいな長さしかないわけだし。そのくらいまだまだ歴史の浅い生物に、ここ数十年の急速な文明の進化と比例するように進化を求めるのは相当酷な話だ。
だからこそ急成長を遂げた現代に「デジタルデトックス」が流行っているのだろう。

デジタルデトックスの良い点は、頭の整理の時間を持てるってこと何だと思う。実際この記事が書けているのも、Wi-Fiの通信速度が死亡したことによる疑似デジタルデトックスが出来ているおかげだ。デジタルデトックスについて書くきっかけをくれたのと、考え付いたことの整理の時間ができた。
頭の整理ができると、新たな発見につながることがある。今まで書いてきた記事たちは、それを文章化したものだ。1つのモノに対して考えるときに、まず正面から考えてみる。行き詰ったら裏から見てみて、時には土台から見直してみる。そうすると新たな発見が見つかったりするわけだが、新たな発見をした時には、それをいったん整理し、きちんと成り立っているかを確かめ、文章という形でアウトプットするための時間が必要になってくる。その時間が、僕の中ではデジタルデトックスになっているのかもしれない。完全にデジタルから離れているわけではないから、デジタルデトックスユーザーに「それはデジタルデトックスではない」と怒られるかもしれないが、大目に見てほしい。

デジタルデトックスをするからといって、完全にデジタルから離れる必要はないのかなと僕は思ってきた。ここまで約2000字書いてきて、「デジタルデトックスとは」というところまで分かってはないと思うが、現段階ではそんな感じがしている。
noteを書く時の時間がデジタルデトックス的時間になっているとすれば、いつも書いている時の状況を思い返せば、使い方が曖昧な言葉以外でネット検索は使っていないし、BGMも割と適当なものを流している。この状況はある種ネットから切り離された時間と言えるかもしれない。デジタルデトックスを広義で捉えれば、こんな微妙な感じでもデジタルデトックスと言っても大丈夫と信じたい。
フィジカル面でのメリットはゼロなデジタルデトックスだが、限界を迎えていないならきっとこの程度で良いと思う。
ここまで書きながら考えてきてみたが、きっとこれで良いのだろう。多分。

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Mayu Shiina
僕の生活の一部になります。