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デジタルからフィジカルへの回帰、質量の重要性
全世界的にStay Homeが半強制的に施行され、フィジカルな繋がりが分断された世の中で、デジタルな繋がりが今まで以上に重要視され始めた。
急速なデジタルへの移行が進む中で、1年前には「オンライン飲み会」が流行るなどの仕事や教育の現場以外でもデジタルへの移行が起こっている。このままデジタル上での繋がりだけで満足し、フィジカルな繋がりが薄れていくかと思いきや、公園でビール缶片手に飲み会を行うなど、やはりフィジカルに回帰していっている。
人間が生物である以上、周囲との繋がりは必要不可欠で、たとえそれがデジタルに移行したとして、物理的な孤独感というものは拭えないものということの証左なのかもしれない。事実、デジタル上で繋がることが可能とはいえ、周囲から断絶された感覚を覚えることは少なくないだろう。
孤独とは何なのか。単なる繋がりでは満たされないものなのか。質量を伴わない繋がりには、物質的な繋がりと同等の繋がりは存在しないのだろうか。
21世紀になって、ご近所付き合いという言葉すら聞かなくなってきた。SNSの普及に伴い、人々の繋がりはローカルからグローバルに拡大し、ローカルな繋がりの重要性が薄れてきている。
2007年に携帯型高性能演算装置が発売されたことで、全世界を覆うネットワークへのアクセスが容易になり、これまでに進んでいたデジタルへの移行が急加速した。「歩きスマホ」が社会問題になるほど、人々はデジタルに今まで以上の繋がりを求めた。それは今も変わらない。
2016年に「Pokémon GO」がリリースされると、「歩きスマホ」は「ながらスマホ」に進化し、歩行だけでなく様々な移動方法に対象範囲を拡大させた。車を運転しながらやっていて、歩行者を殺してしまったというニュースを何度見たことか。幾度となく発生する交通事故か開発元である「Niantic」は対応を迫られ、数か月後には一定速度を超えると自動的に機能が制限されるシステムを導入した。
現実の世界にデジタルを疑似投影する「Pokémon GO」は、デジタルを介したグローバルな繋がりと、「ポケストップ」と呼ばれる重要拠点でのローカルな繋がりが混在した新たなサービスだった。
そして2020年初期に、人々の繋がりはローカル単位に分断され、それ以上の範囲の繋がりを構築するためには、デジタル上で行わなければならなくなった。一時期、社会人は「オンライン飲み会」、学生は「あつまれどうぶつの森」に繋がりの場が完全移行していた。Zoomビデオコミュニケーションズと任天堂の売上高は空前の好景気を迎え、GAFAを初めとするテックジャイアントたちも空前の好景気となった。
このまましばらく続くと思われたオンライン飲み会は、数か月後には耳にする機会がほぼなくなっていった。それに反比例するかのように、公園等でのオフライン飲み会が問題となったのは最初に書いた通りだ。
急速にデジタル化が行われ、今までフィジカルで行われていたものがデジタルで行われるようになり、しかもそれが割と成立することが明らかになっている。それでもやはり人間はフィジカルに回帰し、質量を求めている。これを書き始めた段階では、書き終わる頃に答えが見つかってるだろうと思っていたが、予想外に難しくていまだに答えは見つかっていない。この先どこかで見つかったら新しく記事を書こうと思う。とりあえずここまで読んでくれた皆は、デジタルとフィジカル、質量について考えを広げてみてください。
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